埼玉新聞

 

田園地帯にある赤と白の「鉄塔」はラジオのアンテナ 約40年前に埼玉・川口から久喜に移転 「鉄塔のまち」の歩み紹介する特別展 久喜市郷土資料館 ラジオ放送100年を記念

  • 「鉄塔のまち」の歩みや放送文化を紹介している展示会場=久喜市郷土資料館

    「鉄塔のまち」の歩みや放送文化を紹介している展示会場=久喜市郷土資料館

  • 「鉄塔のまち」の歩みや放送文化を紹介している展示会場=久喜市郷土資料館

 久喜市郷土資料館は、特別展「昭和ラジオテレビ物語」を開催している。市内にはNHK菖蒲久喜ラジオ放送所があり、放送文化の一翼を担ってきた重要地であることを知ってもらおうと、昭和元年から100年、ラジオ放送開始から100年の節目を記念して企画。関連資料約180点を展示し、「鉄塔のまち」の歩みを紹介している。来年2月1日まで。

 放送所は久喜地区と菖蒲地区の境目に広がる田園地帯に位置する。送信出力増強のため川口市から移転し、1982年にNHKラジオ第1放送が、翌83年に第2放送がスタート。赤と白に塗り分けられた高さ200メートル超のアンテナで、関東を中心に全国約2300万世帯に放送を届けている。地元で「鉄塔」の愛称で親しまれ、旧菖蒲町の郷土かるたにも登場した。

 ラジオ放送は、鷲宮地区の鷲宮神社に伝わる国指定重要無形民俗文化財「土師一流催馬楽神楽」の存続にも貢献した。継承者が1人となり断絶の危機に陥った55年7月31日、第2放送で神楽の笛を約30分間にわたって放送。その後、継承者を募集したところ十数人の若者が集まったという。

 展示では、旧菖蒲町の有志職員が作った放送所のジオラマ模型、当時の公文書や写真などを紹介。放送文化のコーナーでは、真空管ラジオや部品、疑似的なカラー映像を楽しむため着色版を装着したモノクロテレビ、ラジカセやレコード、昔の雑誌や新聞などを並べている。

 同館は「放送が持つ力、社会に与える影響は大きい。その100年にわたる歴史のうち、久喜市が後半の40年を支えてきたことを知ってもらえたら」と呼びかけている。

 休館日は祝日除く月曜日。問い合わせは、同館(電話0480・57・1200)へ。

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