SINCE 1943

1972年に埼玉新聞が紙齢1万号に達したことを記念して制定された。地域を陰ながら支えている公務員や警察官、消防団員を顕彰している。県、市、町、警察、消防の5部門だが、町部門の該当なしが多く、4部門のみの受賞となることが多い。

県部門

小俣良介

茶の病害虫防除に力

小俣良介(おまた・りょうすけ)氏(59)

県茶業研究所担当部長

 埼玉の特産物・狭山茶を育む入間市西部の広大な茶畑。その一角にある県茶業研究所で30年以上にわたり、農作物の病害虫の防除に関する研究や技術の普及に努めてきた。「身の引き締まる思い。埼玉にとって狭山茶は大事なものなのだと実感している」。受賞の喜びをそう語る。

 茶の木を傷める病害虫の発生が2007年から相次いだ。それまで埼玉には生息していなかった虫だった。クワシロカイガラムシは樹液を吸って枯らしてしまう。追い打ちをかけるように、今度はチャトゲコナジラミが発生した。

 防除対策には多くの農薬をまかなければならないなど、機材や労力の面で生産者を悩ませた。負担が少ない対応策を思案する中で「米ぬかをまいてみたら良かった」との話が寄せられた。

 調査や研究を進めたところ、茶の木にまくことで病害虫の抑制に効果があることが認められた。生産者に普及を推進し、外部機関からも高い評価を得た。また病害虫の天敵となる虫を集めておく「バンカー植物」を利用した防除対策も普及させた。

 農水省は化学農薬の使用の低減などをうたった戦略を策定している。「有機農業へのシフトに、米ぬかなどは生きてくると思う」と説く。

 後任の育成が課題だという。「伝統ある狭山茶を支えていく上では新しい知恵や技術を必要としている」。一技術者、研究者として生産者を支援したいと加えた。

市部門

岡田喜雄

米作り体験の指導を

岡田喜雄(おかだ・よしお)氏(59)

蕨市立中央小学校主任業務員

 市職員の業務員、用務員として32年超、学校の環境整備や管理運営など幅広い業務を担っている。「子どもたちが安全に、安心して学校で過ごせるよう修繕や環境美化に努めています」と笑顔で話す。

 朝は6時半~7時に出勤。児童らが安全に登校できるよう、校門や校内を掃き清める。花壇の植え替えや、春から夏にかけての雑草除去は暑さが厳しい中ではつらい作業。「職場に恵まれている。どれも大変ではないよ」と控えめに話す。晴れの日も荒天の日も、その日々の仕事が子どもたちの学びやを守っている。

 1991年4月、市立第一中学校で勤務を始め、これまでに中央東小学校、西小学校で勤め、2011年に現在の中央小学校に異動。中央小の校舎南側にはナツメ、カキ、ザクロ、ミカンなど実のなる木があり、約10畳ほどの田んぼもある。5年生の児童が体験する田んぼ作りでは田起こし、代かきからはだしで行う田植え、秋の収穫までを丁寧に指導する。自分たちが手がけたお米を味わうことは子どもたちには貴重な体験だ。

 以前は近所の人たちにも指導してもらっていたが、「今では教えられる人も少なくなってしまった」。学校周辺は住宅地と商業地。子どもたちが泥だらけで遊ぶ姿も見られなくなった。「児童には『いろいろ知っているおじいちゃん』と思われているかも。今の子どもたちは昔に比べ、忙しそう。皆、元気に大きくなってほしいね」

警察部門

安井利男

治安維持に目光らせ

安井利男(やすい・としお)氏(58)

越谷署刑事課・知能・暴力犯係長

 宮崎市出身。幼少のころ、地域の運動会に訪れていた警察官の制服姿に憧れて、この道を目指した。1983年埼玉県警に入り、警察官人生をスタート。勤続約39年のうち、警察署に約26年、本部に約13年勤めた。現在は越谷署刑事課の知能・暴力犯係長として暴力犯捜査に従事。暴力団排除を目指して地域の治安維持に目を光らせる。

 今回、受賞の一報に「『まさか自分が』という思い。うれしさより、驚きの方が大きい」と喜びをかみしめる。

 警察官人生の半分となる約19年間を刑事部門で過ごしてきた。中でも忘れられないのが、2016年に八潮市内で起こった暴力団の対立抗争による拳銃発砲事件。気の遠くなるような防犯カメラの映像解析を1カ月以上続け、ようやく検挙につなげた。「決して1人ではできない。同僚や多くの支えがあったからこそ」。地道で粘り強い捜査が実を結んだ。

 巧妙化する暴力犯事件で多くの功績がたたえられ、09年には優秀警察職員に選ばれた。警察本部長賞詞も2度受賞している。

 健康の源は毎朝飲むトマトジュース。休みの日はウオーキングで汗を流す。一番の目標は「健康で定年までこの仕事を全うする」こと。埼玉に住んで40年。「適度な田舎感でとても住みやすい。ただ(テレビなどで)県のランキングが低いのは悔しいですね」と苦笑する。

消防部門

菅岩良司

縁を大事に地域守る

菅岩良司(すがいわ・りょうじ)氏(69)

川口市消防団長

 「仲間と一緒に、この街の一員として地域の防災で働いてきた。42年間はあっという間だった」と語る。

 1981年に鳩ケ谷市の消防団に入団。父のもとで新人の2級建築士として働き始めたころだった。「そのころ、街で火災が増え始めた。現場に行くと、小中学校時代や仕事の先輩たちがいて『おまえ、見に来ているなら手伝え』と言われた。ごく自然に消防団員になった」

 2011年の鳩ケ谷・川口市の合併後の18年に川口市消防団の副団長、21年に団長に就任した。川口市内の11支団、427人のトップを務める。

 定員は515人で充足率は83%。大学生や主婦など若い人たちの参加に期待する。最近、注目しているのが「中学生パワー」。「いつも地域にいる中学生は、災害時に頼りになる。障害のある人や高齢者など要支援者を支える力と知恵のパワーを期待できる」と言う。

 1954年、市内の坂下町の建築業の家で生まれた。鳩ケ谷小学校、鳩ケ谷中学校時代の友達が今もたくさん身近にいる。帝京高校工業科から中央工学校で通算5年間、建築を学び、父の工務店を継いだ。

 「生まれて育ったのも、日光御成道の坂の下の町。古い歴史を肌身で感じながら生きてきた。消防団員も幼なじみが多い。こういう街の縁を大事にして、これからも地道に一生懸命やっていきたい」と語った。