「戦争は自然災害ではなく、私たちで防げるはず」 最年少で小学5年生が語り部に 長崎の被爆者の経験や思いを語り継ぐ「交流証言者」に登録された細井さん さいたま市で講話
戦後80年がたち戦争体験者の高齢化が進む中、次世代による「語り」の継承が重要性を増している。東京都世田谷区の小学5年、細井奏志さん(11)は昨年末、長崎の被爆者の経験や思いを語り継ぐ「交流証言者」に最年少で登録された。12月21日にさいたま市内で実施した自身5回目となる講話には、同世代の子どもたちも多く参加した。
■長崎、広島を訪問
「小学3年生の春休み、長崎にある原爆資料館に行った。館内を案内してくれたのが三田村静子さんだった」
奏志さんは語り部になった経緯から話し始めた。
2023年4月の長崎原爆資料館を皮切りに、知覧特攻平和会館(鹿児島県)や広島平和記念資料館にも足を運び、学びを深めた奏志さん。24年6月、ニュース番組で戦争体験者の男性が高齢で語り続けるのが難しいと話すのを見て、「大変だ」と危機感を抱いたことが動き出すきっかけになった。
母を通じて長崎原爆資料館に問い合わせ、三田村さんの許可を得た上で交流証言者になる準備を始めた。12月に審査を通過。25年3月、最年少の語り部としてデビューを果たした。
■受け継ぐ思い
奏志さんが語りを受け継いだ三田村さんは1945年8月9日、爆心地から約4キロ離れた自宅で被爆した。昼食中で、その日は珍しく白米だった。残してはもったいないと灰のかかった白米を急いで頬張り、防空壕(ごう)に避難したという。
三田村さん一家に目に見えるけがはなかったが、戦後に待ち受けていたのは度重なるがんとの闘い。姉やめい、そして長女までも30代の若さで亡くなった。自身も、何度もがん闘病を経験している。
「命が続く限り、戦争の残酷さ、平和の尊さ、核兵器の恐ろしさを語り継いでいこうと決めた。他のどの国にも同じ体験をしてほしくない」。奏志さんは三田村さんの思いを語り終えると、「いま世界で起きている戦争に関心を示して、平和について話題にしてほしい。戦争は自然災害ではなく、私たちで防げるはずだ」と訴えかけた。
■同世代の子へ
この日は、さいたま市の市平和都市宣言から20周年の節目。市総務課の担当者は奏志さんに依頼した理由について、「子どもたちに声を届けたかった。同年代の証言者ということで興味を持ってくれるのではないか、また子どもから子どもに伝えることで思いを感じ取ってもらえるのではないかと考えた」と明かす。
実際に家族連れで参加する姿も多く見られ、大宮区の小学5年、雀堂昴稀さん(10)は「大勢の前でしっかりと話していて、すごい。やっぱり戦争はやってはいけないと思った」と真剣な表情を見せた。緑区の小学6年、木下禮さん(11)は「難しそうだが、(語り部を)やってみたいなという気持ちが湧いてきた。被爆についても調べたい」と話していた。










