埼玉新聞

 

“命日”が“命の日”に 「ASUKAモデル」誕生から13年 思いや経緯まとめた本を自費出版 駅伝練習中に倒れ亡くなった少女の母らが学校に寄贈

  • 9月30日に刊行した本「『ASUKAモデル』の誕生 いのちをつなぐAED」と明日香さんの写真

    9月30日に刊行した本「『ASUKAモデル』の誕生 いのちをつなぐAED」と明日香さんの写真

  • 完成した本をさいたま市の竹居秀子教育長(左)に手渡す桐田寿子さんと桐淵博さん=14日、さいたま市浦和区のさいたま市役所

    完成した本をさいたま市の竹居秀子教育長(左)に手渡す桐田寿子さんと桐淵博さん=14日、さいたま市浦和区のさいたま市役所

  • 9月30日に刊行した本「『ASUKAモデル』の誕生 いのちをつなぐAED」と明日香さんの写真
  • 完成した本をさいたま市の竹居秀子教育長(左)に手渡す桐田寿子さんと桐淵博さん=14日、さいたま市浦和区のさいたま市役所

 「ASUKAモデル」をご存じだろうか。2011年、さいたま市立日進小学校6年の桐田明日香さん=当時(11)=が駅伝の練習中に倒れ、亡くなった。その1年後、事故を教訓として誕生した救命マニュアルがASUKAモデル。明日香さんの命日から14年、ASUKAモデルの誕生から13年となった9月30日、母寿子さん(54)と当時市教育長だった桐淵博さん(72)が、これまでの経緯や思いをまとめた本「『ASUKAモデル』の誕生 いのちをつなぐAED」を自費出版し、市内の学校などに寄贈した。

 11年9月29日、明日香さんは学校での駅伝練習中に突然倒れ、翌日に亡くなった。心停止直後に見られるゆっくりとしたあえぐような呼吸(死戦期呼吸)などがあったため、教諭らは心停止に気付けず、自動体外式除細動器(AED)の使用を含む救命処置がなされなかった。学校や市教委との対立を越え、1年後にASUKAモデルが誕生。緊迫した状況下で呼吸の有無を見極めることの難しさを考慮し、分からない場合の対応を記載するなど蘇生のガイドラインを変えるきっかけになった。

■本の出版へ

 寿子さんと桐淵さんは講演や啓発に取り組み、多くの人から救命報告が寄せられた。一方、講演を聞いて「死戦期呼吸を知らなかった」「AEDは感電の危険があると思っていた」と話す人もいて、「まだ道半ば。もっと多くの人に届けたい」(桐淵さん)との思いから本の出版を決めた。

 第1部は、ASUKAモデル誕生の経緯や思い、教育現場での取り組みなどを、それぞれの立場から執筆。第2部は、当時作成に携わった人たちによる座談会で、明日香さんが6年生の時に使用していた教室で行われた。章ごとに読者を迎える挿絵は、明日香さんによるイラスト。寿子さんは「明日香ちゃんってどんな子かなと身近に感じることで、まさかの時に勇気をくれる力になったら」と願う。

 今月14日には市教委に400冊を寄贈、全市立学校と図書館に配布される。桐淵さんは「キーワードは『みんなで』。助かる命はたくさんあるが、助けられない命もある。でも『みんなで助けようとしたことに意味がある』ということを社会の通念にしていきたい」と力を込める。

■命日が誕生日に

 本が刊行された「9月30日」は明日香さんの命日。寿子さんは「悲しくて、数年は泣いていた」と明かすが、明日香さんが日記に書き残した言葉をきっかけに思いが変わる。

 日記には「今日は、ひでおばさん(寿子さんの姉)が亡くなった命の日」と記されていた。「命日に『の』を入れると、命の日。ASUKAモデルの誕生日だと思えた時、自分の中で大きく変わった。9月30日は本当に大事な日」と寿子さん。

 遺族、教育委員会、専門家。一人の少女を通してつながった人の輪が、「命を守りたい」という願いを共有するチームになり、生まれたのがASUKAモデルだった。完成した本が手元に届いた後、寿子さんは明日香さんのお墓に行って報告した。「みんなの思いがつながって完成したよ。ママ、頑張った。これからも応援してね」。本の表紙と同じ「ASUKAブルー」の空が印象的な日だった。

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