埼玉新聞

 

街を紡いだ家族の歴史 桶屋、燃料店、窯元… 地元のお年寄りから聞き書き進め冊子に 埼玉・東松山

  • 地域の人たちの家族史の聞き書きを冊子にした吉田和古さん(右)と、夫の幸平さん=東松山市箭弓町のcomeya GALLERY and PLACE

    地域の人たちの家族史の聞き書きを冊子にした吉田和古さん(右)と、夫の幸平さん=東松山市箭弓町のcomeya GALLERY and PLACE

  • 地域の人たちの家族史の聞き書きを冊子にした吉田和古さん(右)と、夫の幸平さん=東松山市箭弓町のcomeya GALLERY and PLACE

 東武東上線東松山駅東口から徒歩3分の裏通りに、土曜日の午後のみ開いているギャラリーがある。東松山市出身で東京都世田谷区在住のデザイナー、吉田幸平さん(65)が10年前から開いている「comeya(コメヤ)GALLERY and PLACE」だ。作品展のほか、妻の和古(わこ)さん(63)が地元のお年寄りから聞き書きを進め、冊子にしている。戦前から現代まで時代を懸命に生きてきた人々の家族史は、街の歴史と重なる。

■コメは売らないコメヤ

 吉田さんの家族の歴史は、明治時代に吉見町から東松山の中心市街地に出てきた曽祖父から始まる。曽祖父はでっち奉公から始めて米屋を開業し、祖父の代まで中心市街地で営んでいた。幸平さんは18歳まで市内の箭弓町で育ったが、進学を機に都内へ。世田谷区でデザイン事務所を開き、故郷とは30年以上も縁遠い状態だった。

 幸平さんは母が2013年に亡くなってから、故郷の歴史に関心を持つようになり、郷土史の本を読んだり、親類の話を聞いたりした。家族の歴史を掘り起こすうちに、「どの人たちもこの土地で必死に生きて、だからこそ今、自分がいる」と気付いたという。

 55歳の時、両親が持っていた空き店舗に開いたのが「comeya GALLERY」。名前は曽祖父たちが営んだ米屋にちなんで付けた。コメヤといってもコメは売っていないが、先人とのつながりを大事にしたい思いと、人々に来てほしいという「come(カム)」の意味を重ねたという。

■知的な人たちの街

 幸平さんが毎週土曜日に世田谷区から通ってギャラリーを開く一方で、和古さんも「東松山のことを知りたい」と思い、聞き書きを始めた。以前、都内で講習会を受講した経験を生かし、お年寄りの家を訪ねた。

 最初に訪問したのは、駅前通りにあった洋館。税務署の役人で、のちに会計事務所を開いた男性が1940年ごろに建てたという。2階の部屋に通され、書棚の蔵書に驚いた。経済学や英字の本などが並んでいるのを見て「この街にはこんなに知的な人が住んでいたんだ」。

 聞き書きの対象は人づてで探し、地域の郷土史研究会の本なども参考にする。取材は1回3時間ほどで、3回ぐらい訪問。昔の地図や写真なども見せながらじっくりと話を聞いていく。

■この街が好きに

 2015年から冊子の製作を始め、現在までに9冊を発行した。桶(おけ)屋や、炭などを扱った燃料店、蒸しかまどなどを作っていた武州山王焼の窯元、切手も売る歯科医…。今ではその多くは廃業してしまったが、時代の変化に浮き沈みしながらも、懸命に生きてきた人々の歴史をつづってきた。

 「大きな歴史を残す歴史書には残らない話。でも、ただの教師の子がなぜ歯医者になったのだろうとか、町の中の個人間のやりとりの中で人生が開いていく。そんな話を聞いていたら、このまちが好きになった」と和古さんはいう。

 和古さんの最近のひそかな楽しみは「冊子に取り上げた人たちの物語を映画化したら」と想像すること。「自分好みの俳優をキャストに考えています。主演は高良健吾かな」と笑った。

 コメヤギャラリー(東松山市箭弓町1の14の10)は、原則として毎週土曜日の午後1~同5時に開館。冊子はギャラリーで販売している。詳しくはインスタグラムを「comeya東松山」で検索。

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