「川の国」埼玉で伝統漁法を祖父から孫へ 荒川最後の瀬張網漁師 技術、恩恵をつなぐ 産卵の季節に群れをつくるアユを狙う漁
埼玉県は県土に占める河川面積の割合が全国2位の3.9%で、「川の国」と言われる。人々は川から恩恵を受けてきたが、近年は川魚漁の衰退が著しい。そんな時代に祖父から孫へ、荒川で伝統漁法を継承する最後の瀬張網(せばりあみ)漁師がいる。
■年の差60歳コンビ
熊谷市を流れる荒川の久下橋下流で9月20日、今季の瀬張網漁が始まった。30メートルほどの川幅いっぱいに仕掛けを設置したのは、市内に住む漁師小彼(おがの)貞夫さん(84)と、さいたま市在住で孫の内田将暉(まさき)さん(24)。小彼さんは、この道約40年のベテランだ。熊谷市出身の内田さんは特別支援学校教諭をしながら、漁期の休日は祖父を手伝いに来る。
産卵の季節に群れをつくるアユを狙う漁はかつて、荒川の中流域を中心に行われていたという。小彼さんは「20年ほど前までは、まだ5人ぐらいはやっていたが。みんな亡くなったりして、俺だけになった。自分がやめたら、この漁は終わってしまうと思っていたけれど」と、年の差60歳の相棒を見やった。
■1日がかりの重労働
仕掛けは、鉄のくい約120本を50センチ間隔で川幅のほぼ全体に「く」の字形となるよう打ち込み、麦わらを取り付ける。両サイドには魚道となる麦わらもくいもない幅1メートルぐらいの部分を設け、その外側に下流へと張り出した袋状のスペースを確保して網で魚の逃げ道をふさぐ。そして、「ウケ」と呼ばれる筒状の捕獲用具を取り付ける。
アユは上流、下流のどちらから来ても、流れの中に揺れる麦わらを外敵と誤認して川の両脇にある張り出し部分に向かう。出口を探すうち、「ウケ」に入る仕組みだ。仕掛けを完成させるのに1人で1日半、2人で作業しても1日かかる重労働だという。
内田さんは「中学生の頃、初めて一緒にやるようになった」と振り返る。高校時代はサッカーに打ち込んで離れたが、大学へ進むと再び祖父をサポート。「どうせならば、しっかり学ぼう」と、技術やノウハウを習得した。
■仲間づくり求める
初日の漁獲量は約40匹。多い日には100匹ほど取れるという。成魚が餌とするコケが生える石が多い荒川中流域のアユは、栄養状態が良く大型だ。捕獲したアユは、地元のイベントで塩焼きなどにして販売。内田さんは「身近に天然アユが豊富にいることを知ってほしい」と願う。
この日は、坂戸市の城西大学教授で、伝統漁法の実践や食育を通じた環境教育に取り組む真野博さん(58)らも視察した。同教授は「昔から続く漁法は、地域の恵みを享受しつつ自然も維持できるのが素晴らしい」と評する。
今年は台風接近で中止されたものの、寄居町にある県立川の博物館が初めて体験会を企画。継承の支援を始めた。小彼さんは「見て覚えてもらうしかないので、自分もできるだけ長く続けたい」と言う。内田さんは「引き継ぐだけではなく、この漁法を知ってもらい少しでも広がれば」と、仲間づくりを求めた。










