埼玉新聞

 

山仕事の日用品から気付けば工芸品に 編み続けて75年 93歳の新井さん 埼玉・秩父に伝わる背負い編み袋「スカリ」

  • 熟達した手さばきでスカリを作る新井秋義さん=6日、秩父市荒川公民館

    熟達した手さばきでスカリを作る新井秋義さん=6日、秩父市荒川公民館

  • 熟達した手さばきでスカリを作る新井秋義さん=6日、秩父市荒川公民館

 秩父地方に伝わる背負い編み袋「スカリ」の体験教室が6日、秩父市の荒川公民館で行われた。75年にわたり編み続けている市内の新井秋義さん(93)の指導を受け、受講生9人が8月下旬~10月下旬の毎週土曜に集まり、作品づくりに打ち込む。山仕事の日用品だったスカリも今は工芸品に。「気が付けば大勢の人たちが興味を示し、技術を習いに来てくれているようになった」。新井さんは今年も熟達した手さばきで縄をなう。

 スカリは、多年草のカンスゲ(秩父ではイワスゲなどと呼ぶ)の葉を細かく裂いて、手でねじって縄を作る「縄ない」をし、リュックサック型に編み込んでいく。「一生もん」といわれるほど丈夫で、山仕事へ行く時の弁当や道具入れに愛用されてきた。

■継続の原動力

 新井さんが初めてスカリを作ったのは当時17歳だった1949(昭和24)年の秋。友人に誘われ、雑草林の沢沿いでスゲを採り、叔父に教わりながら60メートルの縄をない、型枠に縄をかけて編み込み、自分が山仕事で使うスカリを完成させた。

 「せっかく習ったのだから」と、その後も3年に1作品ほどのペースでスカリを作り、知人らに振る舞った。「右縄と左縄を矢羽根模様に編む肩ひも作りが、何年やってもうまくいかず、悔しい思いをしている」。その気持ちが新井さんの継続の原動力になった。

■今やファッション

 昭和40年代になると、生活様式の変化により、炭やまきの需要が低迷。秩父地方の山の仕事は激減し、スカリを作る人も使う人も見かけなくなった。

 昭和50年代後半になると、スカリは物珍しい工芸品に変わっていた。新井さんの作品を手にした各関係者から、「展示したい」「子どもたちに作り方を教えてほしい」「テレビで取り上げたい」などの依頼が入るようになり、大勢から注目されるようになった。

 新井さんが荒川公民館で毎年講師を務めるスカリ教室は2005年から続く。都心部からの参加者も珍しくなく、定員オーバーで抽選になる年もある。秩父市の茂木久美子さんは今年、念願かない初めて参加。「作品展示を見て興味が湧いた。今やスカリはファッションの一つ」と話す。

■「100歳まで続けて」

 「作り方を忘れないように、粛々と続けていたら75年以上がたっていた。伝承を意識していたわけでない」と言う新井さんだが、受講生らからは「100歳まで講師を続けて」と頼まれている。「縄ないの作業は足先、おなか、腕と、全身の力を使うので、この年になっても力こぶがある。まだまだいける」と、新井さんは意欲を見せている。

 11月1、2日に開催される「荒川公民館まつり」に、新井さんや受講生のスカリ作品が展示される。問い合わせは、市生涯学習課(電話0494・54・1058)へ。

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