埼玉新聞

 

「美しい和紙まで兵器に」…それが戦争 埼玉・小川で「女性たちの戦争」展示 風船爆弾のミニ模型も 町立図書館で17日まで

  • 「あれから80年 広島と小川町の戦争・平和へ」の会場につるされている「細川紙のミニ風船爆弾模型」=小川町大塚の小川町立図書館

    「あれから80年 広島と小川町の戦争・平和へ」の会場につるされている「細川紙のミニ風船爆弾模型」=小川町大塚の小川町立図書館

  • 「あれから80年 広島と小川町の戦争・平和へ」の会場につるされている「細川紙のミニ風船爆弾模型」=小川町大塚の小川町立図書館

 小川町立図書館で「あれから80年 広島と小川町の戦争・平和へ」が開かれている。太平洋戦争で旧日本軍が使った紙製気球「ふ号兵器(風船爆弾)」の気球紙は小川で開発。その約15分の1のミニ模型も展示している。関係者は「なぜ美しい和紙までが兵器となったのか。風船爆弾を知り、平和の大切さを考えてほしい」と話す。17日まで。

 今年は戦後80年、昭和100年の節目の年。同町では戦争体験を語れる人が激減する中、「戦争の悲惨さを風化させることなく、平和の尊さを知ってもらおう」(総務課担当の五島美穂さん)と、広島原爆資料館の協力を得て毎年、平和推進事業を続けている。同時に同図書館の新田文子館長の協力を得て、「小川町と戦争」企画を開催している。

 今回のテーマは「女性たちの戦争」。会場では戦争の長期化で厳しい耐乏生活の中、愛国、防国婦人会を中心に兵士の送迎や戦死者の出迎え、留守家族の援農や慰問が行われた様子が、「銃後を守った」女性たちの姿が残された写真やパネルで伝えている。

 さらに、「細川紙のミニ風船爆弾模型」や当時使われた気球紙を特別展示。模型は中島知子さんと大塚恵理香さんが制作。細川紙技術者協会の内村久子会長が細川紙を提供した。

 風船爆弾は太平洋戦争で、旧日本軍が開発。太平洋側から約9300発が飛ばされ、偏西風に乗って約900発が米国本土の西海岸を中心に着弾したとされ犠牲者も出た。“戦果”は極秘にされ、日本側には伝わらなったという。

 風船爆弾に使われた気球紙は小川で開発され、手が透けて見えるほど薄い特別なもので大きさは193センチの大判と67センチの小判。大小の和紙をこんにゃくのりで5枚張り合わせ、厚さ1ミリ、長さ2メートルの気球紙にした。これを10メートルの風船に600枚を張り付けたという。

 中島さんと大塚さんは7月に10日余りかけ、資料図などを参考に気球本体、水素ガス排気弁、麻綱、本体爆破用導火索、高度保持装置、バラスト砂袋、爆弾などを作って、ミニ模型を仕上げた。

 2人は「戦争に美しい大好きな和紙が使われたのはショックなことだけど、平行して(小川の)紙すきの高い技術は今も残っていることも知ってもらいたいとの思いで制作した」と振り返る。「今を生きる私たちは平和のために和紙を使いたい」と話した。

 この日は地元の県立小川高校グローカルメディア研究部の内山祐大さん(2年生)ら3人が取材に訪れていた。内山さんは「和紙が兵器に使われていたとは」と驚いていた。

 新田館長は「(ミニ模型は2人の技で)ほぼ忠実に再現できた。和紙から爆弾は想像しないでしょう。気球紙作りにも多くの女性や女学生たちがかかわっていた。なぜ和紙までが兵器となったのか。それが戦争です。世界では再び戦争が繰り返されています。平和の尊さを改めて考えてみましょう」と話した。

 問い合わせは、小川町総務課(電話0493・72・1221)へ。

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