埼玉新聞

 

意識もうろう…大活躍の高3球児、脳がつぶれる感覚「死ぬかも」 1番打者で県大会へ導くも“髄膜炎”に 命の危機、寝たきりに…仲間の言葉「待ってるぞ」で回復、2番打者で勝利に貢献 後遺症を心配した父「奇跡」

  • 1回表に先制のホームを踏み、ベンチで仲間と笑顔でハイタッチする大宮東の大泉太一選手=13日、さいたま市浦和区のアイル・スタジアム浦和

    1回表に先制のホームを踏み、ベンチで仲間と笑顔でハイタッチする大宮東の大泉太一選手=13日、さいたま市浦和区のアイル・スタジアム浦和

  • 1回表大宮東1死、大泉選手が二塁打を放つ

    1回表大宮東1死、大泉選手が二塁打を放つ

  • 9回表大宮東2死一、二塁、関野の適時二塁打で三塁を回る一塁走者の大泉選手

    9回表大宮東2死一、二塁、関野の適時二塁打で三塁を回る一塁走者の大泉選手

  • 1回表に先制のホームを踏み、ベンチで仲間と笑顔でハイタッチする大宮東の大泉太一選手=13日、さいたま市浦和区のアイル・スタジアム浦和
  • 1回表大宮東1死、大泉選手が二塁打を放つ
  • 9回表大宮東2死一、二塁、関野の適時二塁打で三塁を回る一塁走者の大泉選手

 大好きな野球ができる喜びを体いっぱいで表現した―。13日、アイル・スタジアム浦和で行われた全国高校野球選手権埼玉大会2回戦で武南と対戦した大宮東の3年生大泉太一右翼手(18)は、昨秋の地区大会直後に髄膜炎を患い、命の危険に直面した。練習できない日々が続き「野球ができることは当たり前ではないと実感した」。喜びと感謝の思いを胸に、最後の夏に挑んでいる。

 左打ちの大泉選手は昨年9月の秋季地区大会では1番打者を任され、5安打を放つ大活躍でチームを県大会に導いた。異変が起きたのはその直後。さらなる活躍を期していた県大会までの期間だった。

 熱が39度あり、激しい頭痛に襲われた。蓄膿症だったこともあって病院を受診。ただ「感じたことのない頭痛で、立っていられないし、周りの声が聞こえなくなった。脳みそがつぶされている感じ」。受診を待っている間に状態が悪化し、別の病院に緊急搬送された。父親の睦さん(52)は「意識がもうろうとしていて会話もできなかった」。大泉選手も「記憶はあまりないけど救急車の中で死ぬかもしれないと思った」と振り返る。

 診断は髄膜炎。1カ月弱の入院期間、最初は寝たきりの状態で、起き上がることも困難だった。そんな時に支えになったのがチームメートからの温かな言葉。LINE(ライン)に「体調、大丈夫か」「戻ってくるのを待ってるぞ」と届いた。退院してからは「脳が揺れることが駄目」と運動は禁止。体幹を鍛えることも大声を出すこともかなわず、年内いっぱいはノッカーにボールを渡したり、仲間を励ましたり、できることを懸命にやった。

 復帰した直後は視界がぶれるし、立ちくらみもした。筋力は落ち、アップだけでも息が上がった。それでも「やめようとは全く思わなかった。『絶対に戻ってやるぞ』と。野球が好きだから」。地道な努力を重ね、今春の大会には3番打者で名を連ねた。

 夏に向けても最後まで残って自主練に励み、鈴木貫太郎監督(40)も「勝ちたい気持ちが強い選手」と評する。そして迎えた今大会初戦は「2番ライト」で先発出場。一回表にいきなり中越え二塁打を放つと先制の生還を果たし、ベンチ前で仲間たちと笑顔でハイタッチした。その後も死球と四球で出塁し、いずれも本塁を踏む活躍ぶりだった。「あの状態から諦めずにやってきて良かった。野球ができる喜びを感じています」

 試合をスタンドから見つめた睦さんは「医師には後遺症が残るかもしれないと言われたので、野球ができているだけでも奇跡。全力で頑張ってくれればそれでいい」と思いを込める。大泉選手は「野球がやれることに感謝して、この夏、全員で甲子園に行きます」と拳を握り締めた。
 

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