埼玉新聞

 

次々と姿消す地域紙 「東武よみうり新聞」きょう7日付で休刊 越谷市を中心とする県東南部、6紙から1紙に

  • 7日付で休刊を告げる東武よみうり新聞の紙面(手前)と、近年休刊した地域紙

    7日付で休刊を告げる東武よみうり新聞の紙面(手前)と、近年休刊した地域紙

  • 7日付で休刊を告げる東武よみうり新聞の紙面(手前)と、近年休刊した地域紙

 県東南部で約半世紀にわたり、読売新聞に折り込まれ週1回発行してきた「東武よみうり新聞」(東武よみうり新聞社発行、本社・越谷市蒲生茜町)が、7日付で休刊する。越谷市を中心に5市1町(同市、草加市、三郷市、八潮市、吉川市、松伏町)では、かつて地域紙が数多く発行されていた。近年、編集者の高齢化や新聞離れ、物価高騰による経営難が続き、県東南部から地域紙が次々と姿を消している。

 東武よみうり新聞は1977(昭和52)年に創刊した。毎週月曜日に発行されるブランケット判4ページ。「読者と共に歩む」をモットーに、県東部5市1町の地元情報を発信し、「東(とう)よみ」の愛称で親しまれてきた。

 6月23日付の1面に社告を掲載し、「東武よみうり 次号で休刊」と発表。見出しの通り「48年半の歴史に幕」を下ろす。

 「東よみさんが休刊だって。また地域の新聞が消える」―。この日の社告を見た行政担当者が驚きと残念な感情を織り交ぜ、記者に連絡してきた。

 発行部数10万部の地域紙がなくなる影響は大きい。社告を受け、同社には電話やファクス、メールを通じて、これまでの感謝や休刊を残念がる声が寄せられているという。

 休刊の理由は「コスト高騰」。同社関係者は「読者には申し訳ない気持ちでいっぱい。とはいえ、経営状況が厳しくなるのはやむを得ない。時代の流れ」と休刊を悔やんだ。

 平成期、県東南部では日刊紙に加え、少なくとも地域紙が6紙あった。大手紙に折り込まれる「東武よみうり新聞」「東武朝日」「とうぶまいにち」。この3紙に加え、独立系の地域紙「東武新聞」「東埼玉新聞」「東部民友新聞」が競うように地域の情報を発信した。

 県東南部は高度経済成長期に人口が急増。大手紙の発行部数が増え、販売店は読者サービスの一環として地域紙を本紙に折り込んだ。人口の増加に比例して、都心部から近い地域で中小企業も急増。広告スポンサーにも恵まれた。販売店の支援を受けず、独立系の地域紙は広告収入を支えに新聞発行を続けた。

 ところが近年、各紙が相次いで実質的な休刊に追い込まれている。編集者の高齢化などを理由に、2023年までに独立系の地域紙3紙が紙媒体としての活動を実質休止した。昨年は「とうぶまいにち」が休刊。今回の「東武よみうり新聞」休刊を受け、残る地域紙は「東武朝日」のみとなった。

 埼玉新聞、毎日新聞の記者を経て「とうぶまいにち」を創刊した飯嶋英好元編集長(85)は昨年3月、休刊を決めた。県東南部の取材を長年続け、大手紙や地域紙双方の事情に詳しい。

 飯嶋さんは「全国紙が書けないネタを地域紙が書く。独自の見識と取材網を通じて、それぞれ地域に密着した情報を書くことができた。日刊紙に比べ、興味深い話題が多い」と地域紙の魅力を語った。

 全盛期には大手紙や地域紙の記者がこぞって地域を駆け巡った。越谷、草加、三郷の各市役所内記者室を拠点に、日刊紙、地域紙双方の記者が自治体の会見に参加。行政の発表とは別に、地域から記者に寄せられる情報が各紙の差別化を図った。

 飯嶋さんは地域紙の減少の背景にある世相に触れる。「時代の流れ。高齢者が亡くなると、後の世帯主が新聞を取らない。この数年、活字が衰退し、新聞離れが急激に進んでいる」と話した。

ツイート シェア シェア