1日3千本を植えられたら一人前 苗木の供給体制を構築、生産者の育成も 埼玉・飯能 スギ・ヒノキ生産、滝田早苗さん/全国植樹祭 森の守りびと(4)
秩父市と小鹿野町にある秩父ミューズパークを主会場に25日に開かれる「第75回全国植樹祭」。66年ぶりの県内開催を前に、県内で森林の保全や育成に取り組む人々を紹介する。
■やせた土地、苗木の「源」
ほのかに黄味がかったみずみずしい緑色の葉が、たくましく山で育つ未来の姿を予感させる。コンテナで背を伸ばすスギの苗木。飯能市双柳の滝田早苗さん(85)は60年以上にわたり、植林用のスギやヒノキの苗木栽培に取り組んでいる。「夢中で作ってきた」。かみしめるように言う。
4人の姉の中で長男として生まれた。入間市の県立豊岡実業高(現・豊岡高)を卒業後、父親が営む苗木作りの道に入った。周辺には水田がなく、春先には土ぼこりを舞い上げて「赤い風」が吹いた。
そんな双柳地区で、スギやヒノキの苗木は盛んに栽培されてきた。理由がある、と滝田さんは説く。「双柳がやせた土地だからだ」。農作物を作るための地力は、弱い。それ故に「細かい根が広がり、山に植えれば成長が良くなる」。双柳の集落では多い時で、半分余りが栽培に携わっていたという。
山は自然の作用だけでなく、人の手によっても変容することがある。その一つが戦争だ。太平洋戦争時には各地で木材が軍需用に切り出されたため、戦後は山の荒廃があらわになった。
「とにかく苗木を山に運び、植える」。終戦からしばらくして、栽培は活況を呈した。
数十年の歳月をかけて育つ木々の源は、種にある。畑にまいて発芽を促す。1年ほどで背を伸ばすと、小さなスコップで畑に穴を掘り、1本ずつ植え替えていく。人手不足になれば親戚や近所の人たちを動員して作業に当たった。「1日3千本を植えられたら一人前だと言われた」。最盛期の畑では10アール当たり1万6千~7千本を手がけた。
スギは畑で2年、ヒノキなら3年かけ、長さ35~80センチほどの苗木にして出荷する。10年以上前からはコンテナを用いた栽培も導入した。これまでに自身が生産した苗木は300万本(推計)を超え、埼玉の山林の約千ヘクタール(同)に植栽されたという。「苗木は西川(飯能市周辺)から児玉(現・本庄市)周辺、群馬県まで持っていった」。滝田さんは顧みる。
住宅の建築材に、建設現場の足場にと重用された木材だが、バブルの時代を経て需要が鈍化した。双柳では苗木作りをやめる農家が相次ぎ、「今は地区の周辺で3軒になってしまった」。現在の卸価格は1本当たり150~200円ほどといい、「もっと単価を上げることができればいい」と望む。
県山林種苗協同組合では理事長や理事に就いた。花粉が少ないスギ苗木の供給体制を構築し、生産者の育成にも心を砕いてきた。
25日に迫った第75回全国植樹祭には自身も出席する。「緑いっぱいの埼玉にしてほしい」。そう思いを語った。










