合併以来の宿題に答え 市庁舎の移転決定 浦和、大宮、与野の旧3市が合併して誕生したさいたま市 「いつまでも対立を続けるのではなく、一つの市に」/検証清水市政4期目 2025さいたま市長選【上】
2022年4月29日、未明の午前1時40分。埼玉県さいたま市議会の本会議場は、市の未来を左右する大きな転換点を迎えていた。
前日の28日、市は市議会4月臨時会に市役所の位置に関する条例の改正案を提出。午前10時過ぎに開会した臨時会は、総合政策委員会の審議を経て、日付をまたぎ、15時間を超える長丁場に。29日午前1時25分に始まった記名投票による採決で、出席議員57人(3人退席)中、48人が同意(賛成)し、3分の2以上となる特別多数議決で可決。市役所は、現庁舎地(浦和区)からさいたま新都心(大宮区)への移転が決まり、未明の議場は大きな拍手に包まれた。
「文字通り、さいたま市が一つになったことの象徴で、市として新しいスタート台に立ったと思っている」。今年3月、清水勇人市長は埼玉新聞の取材に、市庁舎の移転決定を4期目の実績の一つに挙げ、当時をこう振り返った。
■合併協定書「尊重」
清水市長が10年後(31年)をめどにさいたま新都心への移転を目指すと表明したのが、3期目の任期中だった21年2月の市議会2月定例会での施政方針演説。その際に新市庁舎について、「尊重した」としたのが、合併前の00年9月の「さいたま新都心周辺地域が望ましいとの意見を踏まえ検討」と記された合併協定書と、18年5月の「さいたま新都心駅周辺(半径800メートル圏内)が最も望ましい」とする本庁舎整備審議会の答申書だった。
さいたま市は01年5月に浦和、大宮、与野の旧3市が合併して誕生。当時、浦和と大宮による主導権争いがあり、市庁舎問題は地域間対立の象徴とされ、20年以上の懸案となっていた。移転に関して、同じ会派内でも意見が割れる中、特別委員会での議論に加え、議案を審議した総合政策委員会で市役所の所在地を「将来的に、さいたま新都心にふさわしい住居表示の実施を検討すること」とする付帯決議が採択され、移転に慎重や反対だった浦和地域選出の市議らも賛成に回った。
移転に賛成した市議は「いつまでも浦和と大宮で対立を続けるのではなく、一つのさいたま市にしていこうという象徴だった」と回想。清水市長が、旧市でいうと大宮在住で浦和にも在住経験があることで、「いい意味で地理的なしがらみがない。清水さんでないと移転は実現できなかったのでは」と分析した。
■街発展で「成功」
21年11月に浦和区自治会連合会が移転の再検討を求める要望書を清水市長に、12月には請願を議会に提出。22年3月、市が同自治連に丁寧な説明の継続を求める決議案を市議会が可決し、請願が取り下げられた。この市議は、こうした経緯や翌23年4月には市議選も控えていたことなどから「やるならこのタイミングしかなかった」とも語った。
新庁舎整備は基本設計の段階に入った一方で、現庁舎の利活用に向けた将来像は明確ではない。大宮地域選出の市議は「あったものがなくなるので、浦和の人たちの思いを未来にどうつなげていくかが重要」と力説。浦和地域選出の市議も「一つの区切りがついて良かったし、遺恨はないよ。移転後に、跡地だけではなく浦和の街、さいたま市全体がどれだけ繁栄できるか。さらに発展してこそ、この移転決定が成功だったと言える。結果が全てだ」と指摘した。
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さいたま市長選が11日に告示される。清水市政4期目を2回にわたり検証する。










