埼玉新聞

 

1600人の少年飛行兵を養成 1945年には沖縄戦に出撃する特攻隊の訓練基地に 埼玉にあった飛行学校 荒川河川敷には滑走路 戦後は市営住宅として利用された後、国に返還予定も保存された学校/埼玉県内に残る戦争遺跡(4)

  • 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場を復元した桶川飛行学校平和祈念館

    熊谷陸軍飛行学校桶川分教場を復元した桶川飛行学校平和祈念館

  • 数本残っている「陸軍境界標」=4月9日、桶川市川田谷

    数本残っている「陸軍境界標」=4月9日、桶川市川田谷

  • 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場を復元した桶川飛行学校平和祈念館
  • 数本残っている「陸軍境界標」=4月9日、桶川市川田谷

 今年は戦後80年を迎える節目の年。戦争を実際に経験していた世代が少なくなり、当時の記憶を次世代に伝えていくことが課題になりつつあるが、埼玉県内には軍需工場、飛行場、陸軍学校分教場など戦争に関係する遺跡が点在している。県内に残る施設はどのような役割を果たしたのか、関係者たちの話を交えながら紹介していく。

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