埼玉新聞

 

銀行に勤務していた23歳「笑顔で散華」…1945年4月に出撃、戦死した特攻隊員も手紙など初公開 埼玉・桶川飛行学校平和祈念館で企画展 「母から聞いていた隊長」「父が大切にしていた部下」 特攻隊員の遺族が対面も

  • 館内をともに見学し、伍井隊長や清水さんの話をする臼田智子さん(左手前)と清水保彦さん(右)=桶川市川田谷、桶川飛行学校平和祈念館

    館内をともに見学し、伍井隊長や清水さんの話をする臼田智子さん(左手前)と清水保彦さん(右)=桶川市川田谷、桶川飛行学校平和祈念館

  • 初めての対面を果たした臼田さん(右)と清水さん夫妻

    初めての対面を果たした臼田さん(右)と清水さん夫妻

  • 館内をともに見学し、伍井隊長や清水さんの話をする臼田智子さん(左手前)と清水保彦さん(右)=桶川市川田谷、桶川飛行学校平和祈念館
  • 初めての対面を果たした臼田さん(右)と清水さん夫妻

 戦後80年、長い月日がたっても戦争で亡くなった家族を悼む人たちの思いは変わらない。桶川市川田谷の桶川飛行学校平和祈念館で開催されている企画展「第二十三振武隊員が遺したもの」は、1945年4月に出撃して戦死した特攻隊員が家族に残した手紙が展示されている。同展に初めて資料を提供した、隊員の遺族が今月、滋賀県高島市から訪れ、桶川市に住む隊長の遺族と初対面した。

 第二十三振武隊は、熊谷陸軍飛行学校桶川分教場の教官を務めた伍井芳夫大尉(享年32)を隊長に12人で編成された特別攻撃隊。45年4月に鹿児島県の知覧飛行場から沖縄へ向けて出撃した。伍井さんの資料は5年前の同館開館当初から常設展示されているが、今回の企画展では、滋賀県高島郡新儀村(現高島市)出身の清水保三さんが家族に残した手紙や写真などが初公開された。

■「笑顔で散華します」

 清水さんは、滋賀銀行に勤務していた41年4月に召集され、宇都宮陸軍飛行学校に入校。航空兵としての道を歩み、45年2月、第二十三振武隊の一員となった。清水さんが残した手紙には「保三はこの度特別攻撃隊員に召され、一家一門の光栄と喜んでいます。(中略)笑顔で散華していきます。ほめてやってください」といった当時の特攻兵の心情とともに、「保三は常に大空にあってご健康を祈っています」と残される家族を気遣う思いにあふれている。清水さんは同年4月3日に戦死。23歳だった。

 今月初旬、滋賀県から祈念館を訪れた清水さんのおい、清水保彦さん(66)は、伍井隊長の次女臼田智子さん(81)と対面を果たした。保彦さんは保三さんの妹清子さんの長男。「母からいつも聞いていた伍井隊長のお嬢さんにお会いできてうれしい」と感激した。臼田さんも「父が大切にしていた部下の遺族の方に会えるとは思わなかった」と笑顔で話した。伍井隊長は45年4月1日、隊員たちに先駆けて飛び立っている。

■喜んでいるはず

 展示には、第二十三振武隊が知覧に向かう前に滞在した栃木県の壬生飛行場で、隊員たちが書いた寄せ書きもある。清水さんは「振武の声」、伍井さんは「父の声」と題されている。臼田さんは「寄せ書きは父のだけしか知らなかったので、今回清水さんのを見られて本当に良かった。他の方のもそれぞれあるんでしょうね」と新たな発見があった様子。

 保彦さんは現在、保三さんの生家に住んでいる。初めて訪れた埼玉県には「東京の隣の埼玉は、京都の隣の滋賀と似たところがありますね」。そして「手紙などの遺品が伍井隊長の地元桶川に来たことを、保三自身がとても喜んでいるはず。私が確認できて良かった」と話していた。

 企画展は5月18日までの午前9時~午後4時半。入場無料。月曜休館。問い合わせは、同館(電話048・778・8512)へ。

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