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おらが町の野球部 鷲宮高校物語
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4. 春の吉報 |
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小さな町に大きな光 |
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その日、鷲宮高校も町内も落ち着かなかった。一九九五年二月十七日、第六十七回選抜高校野球大会の出場校が決まる選考日だった。 同年一月十七日に発生した阪神大震災の影響でその年は選抜大会の開催が危ぶまれていた。協議の結果、開催は決定したが、出場校選考は例年より二週間以上も遅れた。関係者がやきもきする中、午後四時二十分、「当選」を告げる電話のベルが鳴った。 出場決定の知らせにナインは、グラウンドで喜びを爆発。生徒や後援会父母、役場職員、住民も駆け付け、学校は歓喜の渦に包まれた。町民を巻き込んだ「甲子園フィーバー」の幕開けだった。 ◎ ◎ ◎ 学校では生徒会を中心に急きょ、応援団が結成され、新たな応援歌も作った。当時のバレーボール部顧問、平信爾(47)は「生徒たちが野球部のためにと自主的に動いた。本当の意味で生徒たちが学校に胸を張れるようになった」と校内のまとまりを実感した。 開校十八年目の快挙に町内も沸き返った。町役場の入り口には、健闘を祈る大きな垂れ幕が掲げられ、町は出場を伝える「号外」を全戸配布。町内五カ所で、町民が撮影した野球部の写真展まで開かれた。三万四千人余の小さな町にもかかわらず、集まった寄付金は二千九百三十二件、約五千四百万円に上った。 町内で新聞店を経営する見坂環(65)は出場を祝うミニコミ紙を約七千部印刷。「鷲宮駅の机を借りて並べたら、すぐになくなった。あの時の盛り上がりはすごかった」と懐かしげに振り返る。 熱気はナインにも伝わった。当時四番を任された松浦貴之(28)は「駅で見知らぬ人から『甲子園で頑張れ』って言われ、ジュースをおごってもらった時にはびっくりした。みんな町の人たちの期待を背負って戦う気持ちが強かった」という。 ◎ ◎ ◎ そして、同年三月二十五日、夢舞台開幕。開会式で同校の長谷川大主将が選手宣誓の大役を務めた。その年の大会は近畿地方の人々にとっても特別だった。未曾有の大震災のつめ跡に苦しんでいた時期。誰もが光明を見いだしたい中で「全力でプレーし、夢と希望と感動を与え、復興の勇気づけとなるような試合をすることを誓います」と発した宣誓は、人々の心に大きな希望を与えた。 初陣は翌二十六日、相手は古豪・広島工だった。多くの町民が甲子園に駆け付け、学校からも生徒、らがバス十九台で大阪入りした。試合はエース伊藤智雄の粘投むなしく2―3で惜敗。最終回、持ち味の粘りで1点差に詰め寄ったが、あと一歩及ばなかった。初勝利は持ち越されたが、ナインの全力疾走に温かい拍手が送られた。 ◎ ◎ ◎ 数日後、一通の手紙が学校に届いた。「大阪のおばちゃんより」と書かれた手紙だった。そこには「震災で苦しんでいる人たちを勇気づける素晴らしい宣誓と全力プレー。夢と希望と感動を与えてくれてありがとう」と記されていた。 夢と希望と感動―。それは鷲宮町民にも通じる思いだった。 =文中敬称略= (2006年7月7日付掲載) |
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