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おらが町の野球部 鷲宮高校物語
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3. 記念の年 |
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夢体現、涙のスタンド |
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一九九四年は鷲宮高校にとって忘れられないメモリアルイヤーとなった。野球部は三代目監督の斎藤秀夫(49)=現上尾高校野球部監督=が指揮を執っていた。 始まりは手痛かった。春の県大会で初戦で敗れたチームが、二年生主体で臨んだ夏の埼玉大会で3回戦を突破。ところが、4回戦の浦和学院戦(同大会の優勝校)で落とし穴が待っていた。投手陣が打ち崩されて6失点。しかも放った安打はたった1本。あわや完全試合の完敗を喫した。 秋の新チームには、その時の屈辱を味わった二年生が多数残り、「打倒ウラガク」を合言葉に再出発。試合を重ねるごとに成長し、県大会準決勝で浦和学院に雪辱。初の関東大会出場を決めた。 秋の関東大会は初の選抜甲子園出場の最終関門。ここでベスト4に入れば、出場は「当確」となる。チームは初戦を突破して準々決勝に進出。夢の甲子園にあと1勝と迫った。 試合当日の十月三十一日、まずは学校内が揺れた。授業のある月曜日だったが、「野球部の晴れ舞台を応援したい」という生徒たちの声に押され、学校側はその日の朝、急きょ異例の全校応援を決断。会場地の栃木県営球場まで約千人の全校生徒が電車で約一時間かけて駆け付けた。 町民も黙って結果を待っていられなかった。役場職員が率先し、交通手段のない町民を車で、会場地までピストン輸送。スタンドは住民と生徒で埋め尽くされた。 群馬県大会を制した前橋工との試合は白熱した。終盤まで抜きつ抜かれつのシーソーゲーム。九回表に4失点して5―8。万事休したかに思われたが、その裏、4点を奪って奇跡的なサヨナラ勝ち。大声援をバックに選手たちは土壇場で夢の扉をこじ開けた。 同町で写真店を経営する中田良一(56)は「九回表に逆転され、甲子園はやっぱり遠いんだと思ったら、まさかの大逆転。涙を流してシャッターを切った」という。中田は創部当初から野球部の写真を撮り続けている。毎日夜遅くまで、歯を食いしばりながら白球を追う部員たち。浦和学院に敗れ、悔し涙を流した選手たち。みんな知っている。だから劇的な幕切れに涙が止まらなかった。「だけど、泣いていたのは私だけじゃない。スタンドのみんなも泣いていた」。観客の気持ちは中田と同じだった。 監督だった斎藤は振り返る。「何もなかった学校が頑張って、結果として大きなものを得られた。野球部もそうだが、やればできる。頑張っていれば自信につながる。子どもたちは努力する大切さが分かったと思う」 努力が結果に直結するとは限らない。でも、努力なしに夢はつかめない。結果は努力の積み重ね。高校生も町民も、この年の野球部の頑張りに自らの夢を重ね合わせていたに違いない。 そして三カ月後、待ちに待った春の吉報が鷲宮町に届く。 =文中敬称略= (2006年7月5日付掲載) |
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