WEB埼玉

2006年7月30日(日)

 

完全燃焼・鷲宮の夏
高校野球埼玉大会

 

「勝負どころの1球の差」

 おらが町の夢、創部29年目の夢は破れた。「決勝で勝たなければ…。勝負の厳しさを実感している」。深くかぶった帽子からのぞく高野監督の目は真っ赤。初のAシードで迎えた鷲宮の夢、夏初めての甲子園は、正夢にはならなかった。

8回裏浦和学院2死二塁、堀越の左前打で二塁走者敷地(16)が生還して4点目。捕手赤荻

 先攻を取った。今大会6試合はすべて先制。疲労がたまるエース増渕竜を助けるため、何としても先取点が欲しい。だが一回の攻防がすべて。初回の明暗が勝者と敗者を分けた。

 一回表、鷲宮は1番安田が右翼線の二塁打で出塁した。2番児玉には送りバントのサイン。犠打にこだわるチームのおはこだ。ところが児玉は小飛球を上げ、安田も飛び出して併殺。児玉は「観客の多さに、いつもと違った」と認める。「観衆がいっぱいで球が見にくかった」と安田。初の決勝、しかも異例の2万人が埋め尽くしたスタンドに、普段着の野球を貫けなかったのかもしれない。

 その裏、増渕竜は浦和学院の鮫島に2点本塁打を浴び、初めて先制を許した。高野監督は「先取点を取りたかった。1点でも入っていれば、流れはまったく違ったのに」と悔やむ。

 望まざる展開に二回以降は後手、後手だった。打線は序盤の小刻みな投手リレーに反撃の糸口を失い、増渕竜は浦和学院の強力打線に2けた安打された。4番で主将の川村は「打線に逆転する力がなかった」と言う。あらゆる状況に対応する柔軟性、交代メンバーを含めた選手層…。やはり総合力の違いなのか。

 埼玉が2代表だった1998年の滑川(現滑川総合)以来、春夏とも公立校の甲子園出場はない。「公立も私立も関係ないし、そう言われるのはすごく悔しい。勝負どころの1球の差を埋め、これからも挑戦し続ける」と高野監督。おらが町の希望、鷲宮町民3万4000人の夢が詰まった野球部。いつの日かきっと、実力で重い重い扉を開けるときが来るはずだ。

全力の3年間 「悔いなし」

 ずっと泣いていた。泣きながら仲間に声を掛け、泣きながら最後のチャッチボール。そしてベンチ裏の壁にもたれかかったまま動かない。こぼれ落ちる涙のしずくとともに、増渕竜の甲子園がかすんで消えた。

鷲宮―浦和学院 悲しみをこらえ、最後のキャッチボールをする鷲宮のエース増渕竜

 「力がないと感じた」。絞り出すような声。「きょう勝たなきゃ意味がない。自分に甘い部分があった。もっと強くないと甲子園に行けない。簡単につかめるものじゃない」。そう言って唇をかんだ。

 疲れを言い訳にしなかったが、実際に球はきていなかった。一回、高めの直球を鮫島に右翼席上段に運ばれた。試合の流れを決めた先制2ラン。その後粘りの投球を続けたものの六、八回に1点ずつを失い大勢を決められた。

 「真っすぐを狙われていて、それを振り切るスイングスピードがあった」。準々決勝で強打の春日部共栄に5安打しか許さなかったが、この日は10安打。増渕竜が2けた安打を許したのは記憶にない。

 それでも鷲宮で、高野監督の下で3年間を過ごしたことは輝く財産だ。私立を倒して甲子園に行きたい。そこで出会ったのが鷲宮だった。「中学3年の時に練習を見学に行ったら、選手同士の会話が甲子園を目指しているものだった。そこにほれました」

 中学時代は軟式野球だった無名の投手が、鷲宮で成長し、埼玉を飛び越え、全国に名をとどろかす剛腕となった。「鷲宮を選んだことは間違っていなかった」。そう胸を張って言える。

 青春の涙に無駄はない。涙は人を強く、そして優しくする。「この大会、この3年間に悔いはないです。きょうの負けをプラスにして生きていきたい」。勝っても負けても、今大会の主役は増渕竜だった。そして彼の野球人生はこれからも続く。    

 
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