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球児たちの決断〜野球留学について考える
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2. レベル高い埼玉で成長 |
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野球留学はもちろん海外からとは限らない。県外から県内の私立の強豪校に進学し、技術や精神的に大きく成長を遂げた選手もいる。春日部共栄の呉屋利明もそんな一人だ。 沖縄県石垣島出身の呉屋は、母喜美子さんが同校の本多利治監督の奥さんと高校時代からの同級生という縁があり、春日部共栄の野球に中学生のころからあこがれていた。「投打のバランスが良くて、礼儀正しくみんな一生懸命だった」という野球を、中学1年生から肌で感じていたことが大きかった。 勉強の甲斐(かい)もあって3年前、推薦で合格。「地元の選手で、春日部共栄で野球をやりたい選手と一緒に甲子園を目指したい」と話す本多監督にとって、呉屋の受け入れは異例だったが、入学試験を通った選手の入部を断るわけにはいかない。 「親元を離れたかったし、自立してここで頑張りたかった」という呉屋は、入学当初、生活のリズムが早い埼玉の暮らしに戸惑うことが多かった。沖縄には鉄道がなく、電車の乗り方すら分からない。沖縄なまりでからかわれる苦労もあったという。 それでも徐々に埼玉の生活に慣れ、2年生になると自慢の足の速さを生かしてレギュラークラスに成長した。「中学時代は軟式野球で県大会に出場するぐらいの選手だった」というが、上のレベルで野球をやりたいという気持ちで、セーフティーバントの練習を毎日200本やり続け、自分の武器を懸命に磨いた。 実家に帰省するのは年に10日ほどだが、帰った時には「以前は面倒くさがっていた頼まれ事も、練習に比べたら全然平気に思えた。両親にもきちんとあいさつできるようになった」と笑う。いつの間にか、地元の友達からも頼られる存在になっていた。 呉屋は「ここで野球をやっていなかったら、野球を楽しめなかったかもしれない。自由に甘えてしまい、遊んでいたと思う」と照れる。 もし野球留学に厳しい規制があれば、呉屋のように親元を離れて違った環境で生活し、ひと回り大きくなった姿を両親に見せることはできなかったはず。 呉屋は最後に、「沖縄より埼玉の野球の方が、全体的なレベルは高いと思う。ここでいろんなことを吸収できたので、将来は沖縄で指導者の道を歩みたい」と話した。 (2005年6月26日掲載) |
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