球児たちの決断〜野球留学について考える

1. 母国の技術向上が夢
「初めはプロと錯覚」

 

「ペルーには一度も帰っていない」と話す本庄一の知念誠

 甲子園を目指し、進路を選択した球児たちにはさまざまな決断がある。埼玉県内には日本の高校野球を学ぼうと、海外から留学した選手がいる。

 日系3世で本庄一の知念誠はペルーからやって来た。1998年に軟式野球の世界大会で初来日。高校野球をテレビ観戦し、日本で野球をやりたいと考えるようになった。「初めて見たときは本当にプロ野球かと思った。あとで高校生だと知り、びっくりした」と当時を振り返る。

 来日当初は日本の野球になかなかなじめなかった。「最初は怒られた意味が分からずに戸惑った。辞めたいと思ったことはなにまでなった。

 ぺルーと日本の高校野球のつながりは、『甲子園の心を求めて』の著作もある佐藤道輔・東京都高野連理事長の教え子たちが、海外青年協力隊の一員として派遣されたのが始まり。協力隊はボランティアの一環としてペルーの子どもたちに野球を教え、3年前、ペルー野球協会にとっても悲願となる知念の来日が実現したのだ。

 本庄一の須長三郎監督は、秀明の監督時代にバットなどをペルーに寄贈した縁があり、佐藤理事長と同じ早大出身ということもあって、知念の受け入れ先にすんなり決まった経緯がある。

 同監督は「知念は力があって、昔の日本人のようにしゃにむにやる。まさに野球小僧。努力、根性など野球に誠心誠意取り組む姿勢は、目に見えない影響力がある。チーム強化のためではなく、ペルーの野球が発展するために協力できればいい」と献身的に面倒を見ている。

 知念は「ペルーはまだ、好きだから野球をやっているだけ。今までは海外で野球をする選手もいなかった。子どもたちは新しい目標ができるし、自分かったけど、つらい練習をみんな我慢できるのはすごい。練習は厳しいが、野球が好きだし、いい経験」。3年生となった現在は、主将としてチームを引っ張る立場のように日本で頑張っている選手もいるから、『自分も』と思ってくれればペルーのレベルが上がる」。将来、野球がペルーで大きく花開くという夢に目を輝かせる。

 同校には、知念を慕って群馬・伊勢崎市から通うペルー国籍の日系人選手もいる。外国籍の選手たちが日本の野球を学ぼうとするこうした流れは、今後も続きそうだ。

(2005年6月25日掲載)

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