やってくる高校総体
▽3 土台築いた総体3冠

熊谷商・卓球 斎藤 清さん

「ラケットを握らない日はなかった」と熊谷商高時代を懐かしそうに振り返る斎藤清さん
1980年の高校総体で3冠を達成した熊谷商高時代の斎藤清さん

 

  十代後半だったのに、熊谷商高時代は階段を上るのがつらかった。練習を終えると、脚の筋肉は張り、疲労もピーク。学校から下宿先の熊谷市内の食堂の二階へ、はうようにたどり着く毎日だった。

 一九七四年から八八年にかけて九度高校日本一になった熊谷商高男子卓球部。斎藤清さんが在籍した七八年からの三年間にも二度頂点に立つなど、黄金時代を築いた。「周囲も自分たちも熊谷商は勝って当たり前、優勝して当然と思っていた」。重圧や不安を打ち消すためには、「勝てる」という自信がつくまで練習するしかなかった。

 部員は一学年五、六人ながら、中学時代に全国大会でベスト4、あるいは8強に入った精鋭たちが集まっていた。三年時の高校総体シングルスでは、斎藤さんをはじめ、熊谷商高の選手三人が準決勝に残るほどのレベルの高さだった。「部内で一番になることが全国1位を意味した」と、普段からしのぎを削っていた。

 放課後から始まった練習が終わるのは午後九時三十分。打ち込みだけで五時間を費やした。吉田安夫監督(現青森山田高卓球部総監督)が体育館を離れても、全員が課題を克服すべく自主的に取り組んだ。さらに斎藤さんは、オフの日やほかの選手が疲れて 休んでいるときでもラケットを握った。「みんなと同じことをしていたら、上回れない」と練習の虫になった。修学 旅行があったことも知らな かったほど、卓球漬けだっ た。

 高校二年から公式戦は負けなし。特に三年時には高校総体のシングルス、ダブルス、団体で頂点に立った。「三冠になることが高校時代の大きな目標だった。優勝で締めくくれたことは本当に良かった」と振り返る。  後に全日本選手権のシングルスで八度優勝するなど、不世出の選手になった。「熊谷商高時代の三年間が土台を築いてくれた」。猛練習だった日々が時折、懐かしくなる。

 斎藤 清(さいとう・きよし) 熊谷商高から進んだ明大時代には全日本学生選手権シングルスで3連覇を達成。全日本選手権では男子シングルスで8度の優勝を誇る。一線を退いたが、同選手権通算97勝。1988年のソウル五輪日本代表。埼玉工大の入試課に勤務。山形県出身。深谷市在住。45歳。

(2008.07.04付掲載)

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