2015年12月9日(水)

<底力サイタマ>藍染の魅力、世界に発信/小島染織工業

藍染工場には昭和40年代に製造された「シャトル織機」がずらり。今でも現役で活躍している=羽生市神戸
独自ブランドの藍染め製品は若者にも人気だ

 古くから日本人の生活を彩り、愛され続けてきた藍染め。深みのある鮮やかな青色は「ジャパンブルー」として世界に知られている。「武州正藍染」(ぶしゅうしょうあいぞめ)は、羽生市や行田市、加須市などの北埼玉地方で江戸時代後期から続く藍染めで、2008年には国の地域団体商標にも登録された。明治5年(1872)創業の小島染織工業(羽生市)は、その伝統を今に伝える数少ない藍染屋だ。5代目の小島秀之社長(45)は「藍染めの魅力をより身近に感じていただき、世界中に広めることが当社の使命」と意欲を燃やす。

ゆずれぬこだわり

 「カシャーン、カシャーン」

 藍染織物では日本唯一という量産工場に足を踏み入れると、目の前には懐かしい昭和の世界が広がる。それを最も象徴するのが「シャトル織機」だろう。昭和40年代に製造された旧式の自動織機で、現在はどこのメーカーも生産していない。同社は約20台のシャトル織機を所有し、大切にメンテナンスをしながら使用している。

 なぜ旧式の織機にこだわるのか。小島社長は「ゆっくりと力強く織ることで、手織りのようなふっくらとしてやわらかな風合いが出せる」と説明する。一方、同社は近代的な染色工場を併せ持ち、新たな需要にも対応している。

 糸を束の状態にした綛(かせ)を染める「綛染め」も、譲れないこだわりの一つだ。つるされた綛を手作業で染液の中に降ろし、染めては引き上げる。この回数が多いほど、色の濃さが増す。「綛染めの特長は糸の芯まで深く染まり、回数で色分けができること」(小島社長)。この特長を生かし、今年2月にはグラデーションに染める技術や商品の開発を目的に、経済産業省から「地域産業資源活用事業計画」の認定を受けた。

野良着から剣道着へ

 藍染めの歴史は古く、古代エジプトで行われていたという。日本には3世紀頃、中国から移植されたと考えられている。藍染めされた衣服は丈夫になり、使い込むほど色に味が出る。江戸時代には木綿の普及とともに急速に広がり、庶民の家庭着や仕事着の大部分に用いられた。

 羽生市をはじめとする北埼玉地方では、江戸時代後期の1780年代頃に藍染めが始まったとされる。藍の香りが虫除けにもなることから、農民の多くが野良着(農作業用の服)として重宝した。

 しかし、化学染料の藍や輸入繊維製品の台頭により、天然の植物藍を使った正藍染(本藍染)は激減。明治期には200軒近くあった武州正藍染の藍染屋は、羽生市内の4軒を残すのみとなった。藍染めの野良着は姿を消したが、需要は剣道着や祭り着へと移り、今でも根強い支持を受けている。

藍染めの新たな歴史を

 小島社長は2003年に父・一太(いちたか)さんが亡くなったことを機に、商社を辞めて家業を継承。伝統を守りつつ新たな取り組みに挑戦している

 藍染めの魅力を多くの人に知ってもらおうと、藍染め体験や工場見学、商品販売を兼ねた「藍染め市」や「INDIGO BLUE PARK」といった工場開放イベントを開催。需要拡大に向けては、「小島屋」や「KASE by Kojimaya」という藍染め製品の独自ブランドを立ち上げ、雑貨類やグラデーションを生かした洋服を販売している。海外にも目を向け、主に欧州のラグジュアリーブランド(高級嗜好品)向けの生地販売にも力を入れる。

 「藍染めは色合いが美しく、使い込むほど味が出る。長い年月をかけて親しまれてきたものが、伝統工芸といって博物館に納まっていては面白くない。我々の世代で、より長く新しい歴史をつくっていきたい」と語る小島社長。藍には「青は藍より出でて藍より青し」ということわざがある。海外から日本に伝わった藍染めが独自に進化を遂げ、世界中にその魅力が広がる―。そんな日を夢見ている。

会社概要

【社名】小島染織工業株式会社

【本社】羽生市神戸642―2 電話048・561・3751

【代表者】代表取締役 小島秀之

【事業】武州正藍染、染色整理加工、各種織物・繊維製品の企画・製造・販売

【従業員】50人

【創業】明治5年(1872年)

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