子ども虐待 家族間暴力の現場から 第2部 1
目撃情報
間に合わず最悪事態
暮れも押し詰まった一九九七年十二月二十日、土曜日の夕方。スーパーでたった一人、ペットボトルの飲み物を買う優ちゃん(6つ)が市保健婦の目に留まった。
両目にはアザがあり、髪の毛の一部は円形に抜け、白髪混じりのようにも見えた。「どうしたの?」と聞いた保健婦に、優ちゃんは「転んだ」と答えた。「お名前は? 何歳?」の質問にも答えた。
週休日のため、保健婦は翌週月曜日の二十二日午前、職場でこの様子を話し、市の福祉関連三課で構成する福祉事務所に通告した。「放置できない」と判断した市福祉課は、同日午後、市の保健婦グループに「より詳しい情報を上げてほしい」と依頼。さらに優ちゃんの自宅地域を担当する民生・児童委員にも連絡を入れた。市ケースワーカーが確認に行った優ちゃん宅の表札には、なぜか優ちゃんとは別の姓が記されていた。
優ちゃんが「虐待を受けている可能性が高い」との通告を管轄の児童相談所が受理したのは同日の夕刻。既に業務時間外で、地区担当児童福祉司は残っていたが、多くの職員は帰宅したり別の仕事で出払っていたため、児童相談所は緊急の「受理会議」を即日で開けなかった。
しかし、担当児童福祉司は、優ちゃんは双子で以前は別の市に住み、生後約三カ月で乳児院に入所措置されていたことを、該当地域の児童相談所から転勤してきていた職員から聞いた。担当児童福祉司は当時の担当職員と連絡を取り合った。きょうだいを乳児院に預かった時点では、虐待でなく「養育困難」ケースとして措置されていた。翌二十三日は天皇誕生日。児童相談所は休業だった。
担当児童福祉司が乳児院入所当時の関係資料を取り寄せ、児童相談所が担当課長を含めた受理会議を開いたのは目撃から四日後の二十四日。市ケースワーカーは二十五日、再度自宅に行ったが、外から様子をうかがうにとどまった。
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官公庁の「仕事納め」だった二十六日、児童相談所、市の福祉課・地域保健課は合同でケースカンファレンスを開いた。1=三歳児健診の際に「以前、乳児院に預けていた」と母親が話した、2=まるでファッション雑誌から抜け出したような感じの母親だった、3=自宅には見たことのない男たちが夜間も多数出入りしていたことがあり「事務所代わりのようだ」と近所で評判だった−などの情報交換と「だれが、いつ、どんな方法で介入するか」が検討された。
議論は数時間に及んだ。関係者の話を総合すると、虐待の可能性が極めて高いとの認識は一致していた。だが、小学校入学を三カ月後に控え、母親から一人親家庭に対する就学援助金が申請されていたことや、家族構成などの情報が不足し、この時点では緊急介入の決断には至らなかったという。
約束なしで訪問し、優ちゃんの傷を率直に尋ね「心配しています。何かお困りのことはありませんか」と尋ねる方法もある。だが介入の仕方によっては頑なになられ、虐待がさらに内在化し、フォローや救出が困難になる恐れもあった−と関係者は説明する。
「年内に訪問を」との声もあったが、健診で母親と接触した保健婦をキーパーソンに、就学援助に虐待フォローを絡めて「不自然でなく保護者が受け入れやすい形で、年明け早々にも市ケースワーカーと複数で自宅を訪問し、その反応を見て介入時期と方法を再度検討する」との方針が決まった。
虐待ケースカンファレンスには原則として児童相談所から複数の児童福祉司が出席する。ところがこの日は優ちゃんとは別のケースが重なって発生し人手が足りず、やむを得ず一人出席となった。
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「年明け早々」の自宅訪問は、結果的に最悪の事態に間に合わなかった。
母親(34)と、同居していた内縁の男性(30)が翌年一月九日深夜から十日夜にかけて断続的に加えた暴行で、優ちゃんは十一日午前零時四十八分、収容先の病院で外傷性ショックにより死亡した。遺体には太もも、おしりを中心にたくさんの皮下出血があった。母親と男性は自ら一一九番通報したが、診察した医師が不審に思って警察に届け、二人は傷害致死容疑で逮捕され、同罪で起訴された。
=登場人物は仮名です=
(小宮 純一)
(1999年3月17日掲載)
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