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2016年度彩の国・埼玉りそな銀行

埼玉文学賞

2016.11.9

「彩の国・埼玉りそな銀行 第47回埼玉文学賞」の受賞作品が決定しました。「小説部門」「詩部門」「短歌部門」「俳句部門」の各正賞を紹介します。

埼玉文学賞とは

埼玉新聞社創刊25周年を記念して制定した「埼玉文学賞」は文学を志す人たちを長年にわたり支援してきました。今年で47回。毎年幅広い年代から作品を集め、県内外から注目される文学コンクールです。小説、詩、短歌、俳句の4部門。埼玉りそな銀行から特別協賛をいただいております。

第47回埼玉文学賞審査員(敬称略、五十音順)

小説部門

  • 高橋千劔破
  • 新津きよみ
  • 三田完

詩部門

  • 木坂涼
  • 北畑光男
  • 中原道夫

短歌部門

  • 沖ななも
  • 金子貞雄
  • 杜澤光一郎

俳句部門

  • 金子兜太
  • 佐怒賀直美
  • 山ア十生
Placeholder image埼玉文学賞の審査会が行われ、応募作について議論する審査員ら=10月4日、さいたま市中央区のホテル
小説部門正賞

タイムカプセル

近藤誠司(ペンネーム・近藤セイジ)

「なあ、タイムカプセル埋めたの覚えてる?」
ます酒を舐めながら雄一は、その大きな目でギョロリとこちらを見た。
昭和から時間が止まったままのような大衆居酒屋『大吉』の店内は、いつも通り騒がしい。マメなキハチが予約してくれたので、オレたち三人はいつもの奥の席に座れた。今日は大阪転勤を終えた雄一が、二年ぶりに川越へ帰ってきた復帰祝いだ。
「懐かしいね。小学校五年の夏休みに埋めたやつでしょ?」
チーズでこんがらがったラザニアうどんを、キハチは器用に一本だけつまむと口の中に放り込んだ。キハチは、大吉に来ると必ずラザニアうどんを食う。
「この前、会社の後輩と呑んでたら、タイムカプセルの話になってな。そういえば、俺たちも埋めたの思い出してさ」
「あれって、誰か掘り出したの?」
オレが聞くと、キハチが答えた。
「二人が掘り出してないなら、誰も掘ってないと思うよ」
その言葉に、雄一の目がキラリと光る。
「今から掘りに行かないか?」
「えっ、今から?」
キハチは露骨に嫌な顔をして時計を見た。
時計の針は、もうすぐ二十三時を指そうとしている。キハチは都内に住んでいるから、今から小学校に行くとなると、確実に終電を逃すだろう。
「明日休みだろ? うちに泊まればいいじゃん」
「そうだよ、そうしろよ。なんなら、俺んちでもいいぞ」
オレの提案に、雄一も深くうなずく。
「はぁ、君たちと飲むといっつもこうだよ。僕たち、もう三十歳だよ。そろそろ落ち着こうよ」
キハチの言葉に、オレと雄一は吠えた。
「バカ言え! まだ三十歳だぞ」
「そうだよ。ステイ・ヤングだろ、バカ野郎」
「ところで、行くのか? 行かないのか? どっちだ?」
「どっちなんだい? どっち?」
騒ぎ立てると、キハチはため息を吐いた。
「わかったよ。行くよ。まったく、面倒くさいなぁ」
「ちょっと待て!」
立ち上がるキハチを、雄一が制した。
「まだ日本酒が残っている。早まるな」
キハチはうんざりした顔をして、もう一度席に座った。

 タクシーに乗り込むと、まずはオレの職場の消防署に向かった。そこからスコップを二つ借りて、小学校に向かった。
「懐かしいなぁ、いつ以来だ?」
闇夜に浮かぶ校舎を見ながら、雄一は感慨に浸っていた。
「オレは消防訓練で、二年に一度ぐらいは来てるけどね。三人で来るのは、中学の卒業式以来じゃない?」
「違うよ。成人式の後にも、みんなで来たよ」
キハチはオレの間違いを訂正した。キハチの記憶力の良さは、もはや異常だと思う。
「おい、早くいくぞ」
雄一はすでに門を登って、学校の中に入っていた。
スコップを雄一に渡すと、オレとキハチも正門をよじ登って小学校に侵入した。
「埋めたのって、どこよ?」
「鳥小屋の裏だよ」
キハチの記憶に従って鳥小屋の裏に行く。なるほど。ここなら鳥小屋が目隠しになって、深夜に掘ったり埋めたりしても目立たない。当時のオレたちは、それなりに頭が良い。
上着を近くの鉄棒にかけて、オレと雄一は掘り始めた。九月後半だが、動くとなるとまだ暑い。
「なに入れたか覚えてる?」
「俺、ポケモンカード入れた気がする」
「あと、プロ野球チップスのカードな」
「なんか、すげーワクワクしてきた」
「なんかあと、みんなで手紙を書いて入れた気がするなぁ」
しばらく掘り進めると、カッとスコップに金属があたる感触があった。
「おい!」
オレたちは顔を見合わせると、スコップを放り投げた。慎重に手で土をかき分けていくと、茶色に錆びた鉄の缶が出てきた。おそらく、元は煎餅かなにかが入っていた缶だ。
ふたを開けた。中は四つに仕切られていて、ブロック毎に各自のモノが入れられている。ん? 四つ?
「なんで、四つなんだ?」
雄一がいうと、キハチが何かを思い出した。
「あ、光男君だよ。三年の二学期に転校してきた、吉田光男君って覚えてない?」
「みつおって、社宅の光男か?」
雄一は小学校の友達を、場所プラス呼び名で呼ぶことがある。よく分からんが、雄一曰く、落語スタイルなのだそうだ。ちなみにオレは『三丁目の七尾』で、キハチは住んでいたマンション名から『ウィングヒルズ・キハチ』だ。細かい命名規則は、雄一にしかわからない。
「そう。光男君も、このタイムカプセルに参加してたんだよ。今、思い出した」
そういうキハチを見ながら、オレは全然違うことを思い出していた。

 北海道からの転校生だった光男は、オレたちとは違う、どこか遠くから来た特別な感じがあった。オレたちと光男はすぐに仲良くなった。仲良くなってみると、光男はすごく繊細で、少し影のある不思議な子供だった。塾や習い事の多かったキハチと雄一とは違い、何もしていなかったオレと光男はいつも一緒にいた。
光男は映画が好きだった。家には映画のビデオがたくさんあった。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』、『ゴースト・バスターズ』、『ベスト・キッド』。少し古いけど、最高に面白い映画を光男はいっぱい知っていた。学校が終わると、光男の家へ直行して一緒に観て、セリフを暗記しては学校で流行らせた。映画のことに関してだけは、光男は雄弁に話した。その話を聞くのは本当に楽しかった。
ある日の学校の帰り道。あれはたしか、小学校五年の川越祭りの後だった。光男から「好きな子がいる」と打ち明けられた。それは同じクラスの野々宮陽子だった。野々宮は頭の良さと可愛らしい見た目で、学年でも一、二を争う人気だった。かくいうオレも、実は野々宮のことが気になっていた。
光男から打ち明けられた秘密は、『男の約束』という名のもと二人だけの秘密となった。だけど、光男と同じ子が好きかもしれないという、自分の気持ちに動揺したオレは、『男の約束』を破って雄一に相談した。雄一ならばらしても問題ないと思っていた。それにその時は、『男の約束』を守ることよりも、このなんだかよくわからないモヤモヤした気持ちを、誰かに話して楽になりたかった。
次の日の放課後。誰もいない教室で、雄一はおそらくそれほど悪気のないシャレで、黒板に「光男・陽子」と相合傘を書いた。オレはそれを傍らで見ていたけど、止めなかったし、消さなかった。
忘れ物を取りにきたのか、たまたま教室に戻ってきた光男は、黒板を見ると無言で相合傘を消した。そして、オレの方を睨んだ。オレと光男の友情が壊れた瞬間だった。とんでもないことをしてしまった、と気づいたのはその時だった。
それから、光男が転校する十二月までの一カ月間、オレと光男が言葉を交わす事はなかった。

「七尾、どうした?」
急に黙り込んだオレに、雄一が声をかけてきた。
「いや、何でもない」
オレは首を振った。
気を取り直してオレたちはタイムカプセルの中身を確認した。
タイムカプセルの中には、ポケモンカードやプロ野球カードのほかに、お菓子についていたオモチャや、モーニング娘。のシングルCDやなんかが入っていた。あと、キハチのいう通り、手紙も入っていた。
一通り盛り上がった後、一人ずつ手紙を読んでいく事にした。
「なんて書いてある?」
雄一がキハチに聞いた。
「宇宙飛行士になれていますか? って書いてあるよ」
キハチは恥ずかしそうだった。キハチは中学以降も頭の良さを存分に発揮し、川越高校から東京大学に入って、今は気象衛星の軌道の研究をしている。あながち遠からずといったところだ。
「雄一は、なんて書いてあるんだよ」
オレが聞くと、雄一は力強く答えた。
「総理大臣になっていますか? っだ!」
「あぁ、残念だったな」
「なんで残念なんだよ。まだわからないだろ?」
「七尾君はなんて書いてあるの?」
キハチに促されて、封筒から紙を取りだした。
「野球選手になっていますか? だって」
「なんだ、卒業文集と同じじゃねぇか、面白くない」
雄一は不満そうな顔をしたが、別にオレが悪いわけじゃないだろ?
「光男の手紙も見てみようぜ!」
雄一は光男の封筒を開くと首をかしげた。
「あれ、入ってないぞ」
「そんなことないだろ?」
光男の手紙が入っていないはずはない。オレはこの手紙を書いた日のことを覚えている。夏休みの光男の部屋で、オレと光男は一緒にこの手紙を書いていた。光男に見せろとせがんだが、十年後に見せるから、と断られた。十年後……?
「なぁ、このタイムカプセルって、ホントはいつ空ける予定だっけ?」
「……たしか、十年後の川越祭りの日」
キハチも思い出したみたいだ。
「なんだよ? どうした?」
雄一だけピンと来ていないみたいだった。
「ようするに、このタイムカプセルを埋めた時、掘り出す約束をした日は十年後の川越祭り、つまり二〇〇七年、僕たちが二十一歳の時の十月第三週の土曜日の予定だったんだよ」
「それがどうしたんだよ」
「キハチ! これ見てみろよ!」
オレは光男のモノが置いてあるところから、一枚の写真を見つけた。その写真には、小学生の俺たち四人が、祭りの出店前でピースしている。
「やっぱり、そうだ。光男君、一人でタイムカプセルを掘りに来ているよ」
写真を見ながら、キハチは確信めいた口調でいった。
「なになに? どういうこと? なんだよ、二人だけ」
雄一は、いまだに何もわかっていない様子だった。
「これ、見てよ」
キハチは、写真を雄一に渡した。
「昔の俺たちの写真じゃん。これがどうかしたの?」
「これを入れたのは、おそらく二十一歳の光男君だと思うんだ」
「なんでそんなのわかるんだよ?」
「このタイムカプセルを埋めたのって、小学五年の夏休みだから、一九九七年の八月だよね」
「そうだよ」
「この写真の後ろのポスター、『…楽園』って書いてあるでしょ? たぶん、これ、スカラ座の失楽園の映画ポスターなんだよ」
「だから、それがどうしたんだよ」
キハチの丁寧すぎる説明に、雄一は少しイラついていた。
「失楽園の公開も一九九七年。だからこの写真は、僕らが小学校五年生の時なんだ。祭りの飾りつけと、僕らの格好から推測するに、これは川越祭りで撮影された写真でしょ?」
「あっ」
雄一も、ようやく気が付いたようだった。
「川越祭りは、毎年十月の第三週の土日。だから、この写真が撮られたのは一九九七年の十月第三週の土日。つまり、同年の八月に僕らがタイムカプセルを埋めた後に撮影されているんだよ」
キハチの説明を聞き終わると、少し鳥肌が立っていた。怖いわけでも、寒いわけでもないのに。
「光男、どんな気持ちで、これを掘り起こしてたんだろうな」
オレがそういうと、二人は黙ってしまった。
なんだか、重苦しい空気が流れた。時刻はもう、深夜二時を過ぎようとしていた。
「誰かさ、光男と連絡取れないの? 聞いてみようぜ。なんならさ」
雄一はそういったが、オレとキハチは首を横に振った。
「じゃあ、今回は俺たちの分だけ抜いて、光男の分はまた埋めておこうぜ。もしかしたら光男、また掘りに来るかもしれないじゃん」
雄一はふざけた調子でいった。
「お前、それ、本気で言ってるのか?」
カチンと来たオレは語気を強めた。
「あぁ? 本気なわけないだろ」
「笑えねえんだよ」
「七尾、なにキレてんだよ。誰も連絡取れないんだし、ほっとくしかないだろ」
雄一はオレを睨みつけた。
「ちょっと、二人ともやめなよ」
見かねたキハチが止めたが、オレは止まらなかった。
「光男が転校する前に、お前が黒板に光男と野々宮のこと書かなきゃ、連絡先がわからなくなるなんてことにはならなかっただろうけどな!」
「転校前? 野々宮? なんで今、野々宮が関係あるんだ?」
「覚えてねえならいいよ。別に」
そういうと、オレはそっぽを向いた。
「なんだよ、それ」
雄一は鉄棒から上着を取ると肩にかけた。
「キハチ、俺、帰るわ。んじゃな」
「ちょっと、待ってよ、雄一君」
キハチの声を無視して雄一は正門を登って、駅の方へ消えていった。
「これ、どうしよう」
キハチがタイムカプセルの缶を持ちながら聞いてきた。
「お前が持っておいてよ。オレも帰るわ」
「ちょっと待って!」
キハチがオレを呼び止めた。
「今日、泊めてくれないと、もう終電ないんだけど」
キハチは本当に困った顔をしていた。

 翌日。朝起きると、オレとキハチは同級生に連絡を取りまくった。
しかし、光男の連絡先を知っている奴は誰もいなかった。
「ダメだな」
オレはベッドに倒れ込んだ。キハチは、オレの部屋の本棚にあった卒業文集をめくっていた。
「一人だけ、聞いてないところがあるんだよね……」
「誰だよ?」
ベッドから体を起こした。
「野々宮さんだよ」
「野々宮かぁ……」
オレはまたベッドに倒れ込んだ。
中学三年の時、オレと野々宮と付き合っていた。当時はお金もなかったし、野球部も忙しかったし、受験もあったので、たまに映画を観に行ってご飯を食べるぐらいの関係だったけど。
卒業式の日。オレは何も考えずに制服の第二ボタンを後輩の女子にあげてしまい、野々宮に号泣された。それを見ていた同じクラスの女子から「ひどい!」「人でなし!」「人間のクズ!」と総スカンを喰らい、怒ったオレは野々宮と女子一同に対して罵倒を浴びせて野々宮と別れた。それ以来、一度も会っていない。
その後、高校一年の夏に、野々宮は親の都合で県外へ転校したと聞いた。成人式も来ていなかったので、野々宮との関係は修復できていないままだった。
「野々宮さん、もう怒ってないと思うよ。きっと」
「そうかぁ? 自分で思い出しても、あれはひどかったから。一生怒ってると思うよ」
「でも、」
キハチは一呼吸おいて、考えをまとめると話を続けた。
「光男君と野々宮さんは同じ社宅だったはずなんだよね」
「そういえば、そうだな」
「ということは、だよ。野々宮さんのおじさんと、光男君のおじさんは同じ会社だったと思うんだ」
「なるほど。親同士がつながってるって事か。でも、野々宮の連絡先ってわかるのか?」
「みさだったらわかると思うよ」
みさというのは、キハチの幼馴染の彼女で婚約者だ。来年結婚するらしい。キハチはみさに電話をかけた。
「あ、もしもし……、うん、野々宮さんの連絡先……、そうそう、さっきの話の続き。オッケー、メールで送って。わかった、もうすぐ帰るから……、うんうん、じゃあね」
電話を切ると、すぐにキハチの携帯にメールが来た。
「じゃあ、このアドレス、転送するね」
「ええっ! オレが野々宮に連絡するのかよ」
「僕は、そろそろ帰らなきゃいけないんだよ。夕方からみさと約束があってさ」
「マジかよ。最高に気が重いぜ」
送られてきたアドレスの苗字は野々宮のままだった。苗字が変わってないってことは、まだ結婚してないのか? それとも、もうバツイチ出戻りって可能性も、無きにしも非ずだな。
「まぁ、色々つもる話もあるだろうから、邪魔ものはここでお暇いたします」
キハチはそういって立ち上がった。
「みさによろしくな。イイ女がいたら、紹介してくれって伝えておいてくれ」
「もう、きみに紹介する子はいないって、この前いってたよ」
そういうと、キハチは部屋から出ていった。 はぁ、どうしたもんかね、これは。

 お洒落なウッドデッキのテラス席で、コーヒーを一口飲んだ。緊張しているせいか、あんまり味がしない。天気もいいし、気持ちいい風がふいているし、スゲー緊張しているし、コーヒーじゃなくて、ビールを一杯ひっかけたい気分だ。
あの後、野々宮にメールをした。思ったよりも、なんだか普通に、なにもなかったかのようにやり取りをかわした。光男のことは、「お母さんだったら、わかるかもしれないから聞いておく」とのことだった。
野々宮は埼玉に帰ってきて、今は西武池袋線の高麗駅近くに住んでいるらしい。
いざ連絡してみると、十五年間会っていないから、話は山ほどあった。メールじゃまどろっこしくなってきて、週末にお茶に誘ったら、思いがけずオッケーが出た。
野々宮が指定してきた場所は高麗川沿いの、このお洒落なカフェだった。
「七尾……くん?」
振り返ると、淡いブルーのカーディガンに、シンプルなロングスカート姿の女性がいた。
「野々宮か?」
オレがそういうと、女性はこくりとうなずいて、クスクスと笑い出した。
「ぜんぜん変わってないね、七尾くん」
「変わってないってのは、そんなに可笑しいか」
「ううん。そうじゃなくて、なんか嬉しくなっちゃって」
「まぁ、座れよ」
野々宮は向かいの席に座ると、ペパーミント&カモミールティーを頼んだ。
オレたちは、一通りの近況報告をした。野々宮のお父さんは、一昨年に亡くなったらしい。大阪に母親と住んでいた野々宮は、それを機に高麗で一人暮らしをしているお祖母さんの家の近くに引っ越してきた。今はお母さんと二人暮らしをしながら、介護施設で働いているとのことだった。
野々宮も変わっていなかった。頭が良いので話の返し方がうまい。クスクスと、小動物みたいによく笑うところも変わっていない。見た目は、そりゃ多少、年齢を重ねているところもあったが、昔のまま可愛かった。
「これ、光男くんの住所」
話が一段落したところで、野々宮は一枚のメモを机の上に出した。
「住所?」
「うん。なんでなのか分からないけど、両親も住所しかわからないんだって」
「秩父の山奥じゃん、これ」
「そうなの。光男くんに会うには、そこに行くか、手紙を書くしかないと思うわ」
「んじゃ、行くかぁ」
オレが諦めてそういうと、野々宮はまじまじとオレの顔を見た。
「どうした?」
「七尾くん、ホントに変わってないね。なんで、そこですぐに行くって決断できるの?」
「えっ? だって、手紙書くとか面倒じゃん。届いてるかどうかわかんないし。行くのが一番早いし確実だろ?」
「はぁ、すごいね。やっぱり、七尾くん、変わってない」
野々宮は呆れているのと、尊敬しているのの中間な顔をしている。
「七尾くん、これから予定ある?」
「今日は非番だから、何もないよ」
「じゃあさ、巾着田に行かない? 今、ちょうど曼珠沙華が咲いてるんだよ」
「いいね。じゃあ、少し歩こう」
カフェから少し歩くと、巾着田と呼ばれている場所がある。曼珠沙華の名所で、今はちょうど最盛期なので出店やら簡単な舞台やらが出ていて、祭りのような雰囲気だった。
川沿いには大量の曼珠沙華が咲いていた。一面に広がる華の赤と、茎の緑のコントラストが幻想的だ。
「ここね、昔、お父さんによく連れてきてもらったんだ。その頃は、こんなにお祭りって感じじゃなくて、野放しに曼珠沙華が咲いてるって感じだったけどね」
曼珠沙華の中を歩く野々宮の姿は、このままどこかに消えてしまいそうな儚さがあった。
「ねぇ?」
野々宮が振り返った。
「わたしさ、送ってもらったボタン、まだ持ってるんだ」
「そうなの?」
卒業式のあと、オレは後輩の女の子に頭を下げて第二ボタンを返してもらい、野々宮に郵送で送っていた。もちろん、後輩の女の子にも泣かれてしまったが。
「あれさ、嬉しかったんだよね。でも、貴美子とかが、絶対返事なんて返しちゃダメっていってたから、返事書かなかったけど」
「なんだ。てっきり、完全に嫌われたかと思ってたよ」
野々宮は、真っ赤な華に少しふれた。
「もしね、あの時、別れてなかったら、高校生になっても上手くいってたかな? わたしたち」
「どうだかね?」
オレは話をはぐらかした。
なんなら、今からまた始めてもいいんじゃないの? というクサいセリフを言おうとした瞬間、野々宮が口を開いた。
「わたしね、さっき言ってなかったことがあるんだ」
野々宮は、ゆっくりと言葉をつないでいく。
「こっちに帰ってきたのは、実家のお寺を継ぐためなの」
「寺?」
「そう、私のお父さん、江戸時代から続くお寺の息子なの」
「野々宮の実家って、寺だったのか」
「正確にいうと、私のお父さんの実家。お父さんは、寺を継ぐことを嫌がって、普通の会社に就職して、お寺は叔母さんの旦那さんが継いでいたの。でも、寺を継いでくれていた叔父さんが、一昨年に脳梗塞で亡くなっちゃって。それで、うちのお父さんは会社を辞めて僧侶の資格を取って、寺を継ぐって言い始めたんだけど、修行を始めてすぐに心不全で亡くなっちゃたの」
野々宮の話は、なんだか遠い国の物語を聞いているようだった。
「それでね、叔母さんのところは子供がいないし、私も一人っ子だから、寺を継ぐためには私が婿をもらうしかないの」
少し強い風が吹いて、曼珠沙華が音を立てて揺れた。野々宮は、前を向いたまま、大きく深呼吸をした。
「わたしね、来年、結婚するの。お見合いしたんだ。結婚する人はね、奈良の有名なお寺の次男の方なの。羨ましいでしょ?」
ありったけの作り笑顔で、野々宮はこっちへ振り向いた。オレが今、どんな顔をしているのかは分からない。
なにも、気の利いたことを言えないまま、カフェの駐車場に戻ってきた。
「七尾くん。また、遊んでくれる? 私、中学卒業してから、ずっと向こうだったから、こっちにあんまり友達いなくてさ」
「当たりだろ? 寂しくなったら、いつでも呼べよ」
オレが右手を差し出すと、野々宮は強く握った。
「ありがと。それじゃあ、私、そろそろ行くね」
「送っていこうか?」
「ううん。ここでいい。光男くんによろしくね」
「じゃあ、またな」
オレは車に乗り込んでしばらく、バックミラーで帰っていく野々宮の背中を見送った。

「あーはっはっは! 残念だったな、七尾。ワンチャンあると思っただろ、それ」
先週の野々宮との話を聞き終わると、雄一は噴き出した。
色々相談するため、『大吉』に雄一とキハチに来てもらっていた。
「あー、人の不幸を聞きながら飲む酒は格別だぜ」
「てめえには、血も涙もねぇのかよ」
楽しそうな顔でビールを飲む雄一を、オレは呆れた顔で見た。
オレと雄一はよくケンカするが、二人とも根に持つタイプじゃない。だいたい三日もあれば、めんどくさくなって仲直りをする。
「それで、どうするの。光男くんの所に行くの? あっ、すみません、ラザニアうどん……」
キハチはまた、ラザニアうどんを頼んだ。
「そうそう、光男のところ、一緒に行こうと思ってさ。来週の二人の予定はどうよ?」
オレがそういうと、二人は固まった。
「僕、来週からヒューストン出張なんだよね」
「俺は来週から、おじさんとおばさんが日替わりで死んでいくから、通夜と葬式の予定がいっぱいなんだ」
「なんだよ、それ!」
キハチはともかく、雄一はまったく光男の所に行く気がない。
「まぁ、七尾が光男と一番仲良かったんだからよ、会いに行ってきてやれよ」
雄一はめんどくさそうにいった。
「お前のせいで、最後は仲違いしてるけどな」
「えっ、なんで?」
オレは、光男・野々宮相合傘事件のことを雄一に話した。
「あぁ、そんなのあったね。でも、あれ、七尾が止めなかったから悪いよ」
「どういうことだよ」
「だって、七尾はあの時から野々宮のことが好きだったじゃん。心のどこかでは光男と野々宮の仲が悪くなればいいと思ってただろ? じゃなきゃ、すぐに消すべきだろ、普通は」
「じゃあ、なんだ。オレが全部悪いってか?」
「そういうこっちゃないけど……」
雄一は残ったビールを一気に飲み干すと、まっすぐオレの方を見た。
「光男には、お前ひとりで会いに行かないといけないんだよ」
「な、なんでだよ」
雄一の気迫に少し押された。
「確かに、仲違いした直接の理由は俺のせいかもしれない。でもな、この話は俺やキハチの話じゃなくて、七尾の話なんだよ」
「どういう意味だ?」
「世の中の物語には、一つひとつに主人公がいるんだ。例えばだけど、お前がテニスの試合を観ているとして、その試合の主人公がお前ってことはないだろ? お前は応援しているだけで、試合の主人公はテニス選手だ。それと同じく、今回のタイムカプセルの話は、明らかにお前を中心に語が進んでいる。だから、これはお前の話なんだよ。お前がこの物語の主人公ってことだ」
オレはます酒を少し舐めて、考えをまとめた。
「お前の言いたいことは、よくわかった。要するに、お前は行きたくないだけだな?」
「バレた?」
雄一は、ペロッと舌出した。
「もういいよ、一人で行けばいいんだろ」
「よし、もう一杯飲むぞ。七尾と光男の仲直りを祝して、乾杯だ!」
「まだ、仲直りしてねぇよ!」
「ここまで来たら、もう仲直りしたも同然だろ」
「あのぉ、」
キハチが、恐るおそる割って入ってきた。
「そろそろ終電だから、帰るね」
時計の針は二十三時半を指していた。

 翌日の朝。うちに泊まったキハチを駅まで送った後、車で一路、秩父を目指した。
国道十五号から二九九号に入って、のどかな山間部を抜けていく。紅葉まで、まだ時間がかかりそうだったが、秋の薄い雲が青空に張り付いていた。
秩父駅の近くで左折して、しばらく車を走らせると光男の家の住所付近についた。空き地に車を駐めると、付近を歩いてみた。県道沿いの里山といった感じで、山の間に畑と民家が点在しているような場所だった。電柱に地名も書いてないので、どこが何番地だか全然分からない。このまま歩いていても、見つかる気配がなかった。
近くの畑で、芋を掘っている人がいた。
「すみませーん!」
声をかけると、麦わら帽に白のTシャツ、チノパンに長靴の、おっさんとお兄さんの間ぐらいの人がこちらに歩いてきた。
「吉田光男さんって、この辺りにいますか?」
オレは大声で聞いた。
「おれだけど、誰?」
農家の人が答えた。
「光男か? オレだよ、七尾真だ!」
「七尾か。久しぶりだな。いま、ヒマか?」
「ヒマだけど……」
「じゃあ、ちょっと、手伝ってくれよ。そこに軍手あるから」
光男から、まったくなにごとなかったのように手伝いをお願いされた。
「あぁ、これか?」
「そうそう。それ」
言われるがままに、畑の脇にあった軍手をつけた。
「これ、どこから掘っていけばいいの?」
「そっちから頼む。おれはこっちから掘っていくから。助かったよ。午前中に全部終わらないなと思ってたところだったんだ」
「えっ。午前中にこれ、全部掘るの?」
「そうだ」
腕時計を見ると、もうすぐ十一時半だった。畑は小学校の二十五メートルブールぐらいの大きさはある。それがまだ半分ぐらいしか終わっていない。だいぶ無茶な話だぞ、光男。
掘っている芋の草部分はほとんど枯れていた。枯れた茎を持って、少し踏ん張るとゴソっと芋がとれた。
「ところで、これ、何の芋なの?」
「あぁ、これ? こんにゃく芋だ」
オレは掘り出したごつごつした、石みたいな芋をマジマジと見た。
「掘ったのはどうしたらいいの?」
「そっちの軽トラックに乗っている、黄色いカゴに入れてくれると助かる」
少しやってみると、すぐにコツがつかめた。すぐに光男と変わらないスピードで収穫できるようになった。
「七尾、スゲー早いな。芋掘りやったことあるのか?」
「やったことないけど、普段から肉体労働してるからな」
「七尾、いま何やってるんだ?」
「消防士だよ」
「おぉ、ファイヤーファイターズか。カッコイイじゃん」
「なんで、英語なんだよ。お前こそ、ここで何やってんだよ」
「なにやってるって、芋作ってるだろ」
「だから、そういうことじゃなくて……」
大声でそんなことを話しながら作業をした。小一時間で、すべてのこんにゃく芋を掘り終えた。
「ありがとう。助かった」
光男はそういうと、小さなクーラーボックスから、ペットボトルのお茶を渡してきた。
「久しぶりだけど、元気そうだな」
「まぁ、それなりにな」
光男はそういうと、ニカっと笑った。その笑顔は、存分に小学生の頃の面影を残していた。
「七尾、メシ食ったか?」
「いや、食ってないよ」
「じゃあ、食いに行こう。そばとわらじカツ丼が美味い店があるんだ」
光男の軽トラックで近くの食堂にいった。
「あら、光男ちゃん。いらっしゃい。今日はお友達もいるの?」
「そうなんだ。いつもの、二つお願い」
光男はメニューも見ずに頼むと、奥の席に座った。すぐにざるそばとどんぶりが出てきた。
「食ってみろよ。美味いから」
どんぶりのふたを開けるとご飯の上に、特製タレのかかった大きなカツが、重なるように二枚のっている。上にのっている一枚目のカツにかぶりつこうとすると、光男が止めた。
「ちょっとまて。一枚目のカツは、どんぶりのふたによけておくのが正式だ。二枚目とご飯を食べていって、足りなかったら一枚目のカツを投入する。一枚目のカツは、そのままトンカツとして食べてもいい」
わらじカツ丼の食べ方を真面目に説明している光男を見て、オレはあることを思いだした。
「お前、昔っから食べ方とか作法とか気にしてたよな。光男んちで映画見るときはさ、必ずコーラと……」
「マイクポップコーンな」
「そう! マイクポップコーン」
そういうと、二人で笑いあった。
当時は本当に毎日のように、光男の家で映画を見ていた。映画を見終わると、光男は監督のことや俳優のことをオレに教えてくれた。あと、アメリカやイギリスの文化のことも。今思うと、光男の映画に関する知識は異常だった。
「そういえば、お前に渡すものがあってここまで来たんだよ。車においてきちゃったから、後で渡すよ」
そばとわらじカツ丼を食い終わって、つまようじをくわえながらいった。
「そうか。というか、七尾。どうやっておれの住所調べたんだ?」
オレは野々宮経由で住所を聞いた事を、かいつまんで光男に伝えた。
「野々宮、元気だったか?」
「元気そうだったよ。来年、結婚するってよ」
「そうか。まぁ、みんなそんな年だよな」
光男がそういうと、少し沈黙が流れた。
「光男……」
オレは意を決して光男にいった。
「あの時は、『男の約束』を破って、悪かった」
頭を下げると、光男が笑った。
「あぁ、それな。もうイイってことよ。それより、まだ時間あるか? あるならうちで茶でも飲んでけよ」

少し走ると、手入れされた庭に建つ大きな古民家が見えてきた。
「ここ、お前の家?」
車から降りるとオレは聞いた。
「そうだ。自分で改装してるんだ。五年目にして、ようやく完成が見えてきたよ」
「マジか。すげーな、お前」
「だろ?」
そういうと、光男は笑った。
家に入ると、リビングに通された。開けっぱなしの大きな窓からは、外の光が入ってきていた。リビングの真ん中には、重そうな巨木一枚板のテーブルが置かれていた。光男は冷たい麦茶を出してくれた。麦茶を一口飲むと、タイムカプセルの中身をテーブルに置いた。
「タイムカプセル、埋めたの覚えてるだろ?」
「あぁ、懐かしいね。これをわざわざ持ってきてくれたのか?」
光男は自分の入れたものをマジマジと見た。
「光男さ、これ、掘りに来てただろ?」
オレがそういうと、光男の手が止まった。四人が写っている写真をテーブルに出した。
「タイムカプセルの手紙がなくなって、この写真が入ってた。オレたちが行かなかった約束の日。二〇〇七年の十月の第三週に、お前は一人でタイムカプセルを掘りに来たんじゃないのか?」
「この推理をしたの、キハチか?」
「そうだよ」
「あいかわらず、すごいヤツだな、あいつ」
そういうと、光男は写真を見ながら話し始めた。
「この時が、おれの人生で一番楽しかった頃かもな。川越から転校した次の学校で、おれ、いじめられてな。中学校は引きこもってずっと映画を見てたんだ。そこから、おれの人生には映画しかなかった」
太陽に雲がかかったのか、窓から入る光が弱くなり、リビングが急に暗くなった。
「いつか映画監督になろうと思って、東京の映画専門学校に行ったんだ。けど、そこの連中とは合わなくて……」
光男は麦茶を一口飲むと、こちらを見た。この話を続けて良いのか迷っているようだった。続けて話す事をうながすように、軽くうなずいた。
「結局、何もしないまま専門学校を卒業して、なんのコネもなくフリーターになって。うちな、親父が厳しかったから、『映画なんてやめろ!』ってずっと言われてて、少し焦ってたんだよ。自分でも、ただバイトだけを続けている毎日に、何やってんだろ、と思った時に思い出したんだ。お前たちとの約束のこと」
窓から風が吹きこんできた。風の中には、少しだけ秋の気配が混じっていた。
「あの日。おれはこの写真を持って、小学校に行った。どうしても、お前たちに会いたかったんだ。おれの話を聞いてほしかったんだと思う。七尾なら、キハチなら、雄一なら、きっと大丈夫だって言って、おれの憂鬱なんて笑い飛ばしてくれると思った」
「すまん……」
他になんの言葉も出なかった。あの頃オレは大学で遊びほうけていて、川越はおろか、家にもほとんど帰ってなかった。たとえタイムカプセルのことを思い出したとしても、小学校には行かなかっただろう。
「別に七尾が謝ることじゃない。深夜まで待っても来ないから、一人で掘り出したんだ。そしたら、当時の自分からの手紙が入ってて」
「やっぱり、光男、手紙入れてたよな」
「ちょっと待ってろ」
奥の部屋に行くと、光男は小さく折りたたまれた紙を持って戻ってきた。
紙を開くと、『映画監督になっていますか?』と書いてあった。
「お前、これ……」
「自分でも忘れてたけど、おれって、小学生の頃から映画監督になりたかったんだよ。手紙を見たら泣けてきてさ。本当に何やってんだろ、って思って。このまま終わるのだけは、絶対に嫌だった。その日から、バイトしながら脚本書いて、借金して機材も揃えて、二十五の時に自主制作で短編映画を撮って、ショートフィルムのコンテストに送ったんだ」
「で、どうだった?」
「ダメだった。最終選考までは残ったけど」
「マジかぁ」
気まずい空気がリビングを包んだ。写真を見ていた光男は顔を上げた。
「あのさ、七尾。その映画観てくれないか?」
「いいよ」
言ったあとに、オレは後悔した。もし、光男の映画が面白くなかったらどうしよう。上手く嘘をつけない性格だから、気持ちがすぐに顔にでる。
光男はDVDをデッキに入れると、再生ボタンを押した。黒い画面に白地で『手紙』というタイトルが映し出された。
画面が明転すると、舞台は病室だった。余命あと少しの若い男のところに、友人がやってきて、タイムカプセルに入っていた『手紙』を渡した。その手紙には『小説家になっていますか?』と書かれていた。主人公は病床で小説を書き始める。原稿用紙には、主人公が歩みたかった人生が小説として書き込まれていく。その小説の内容が、ダイジェスト映像で再現されていく。
小説を書いて、賞を受賞し、綺麗な女性と恋をして、結婚して、子供ができた。夫婦喧嘩したり、小説の映画化が決まったり、子供の反抗期が来て荒れたり。最後はおじいさんとおばあさんが、縁側に座っているバックショットで、シーンは病床に戻って、主人公は眠るように力尽きた。
二十分ぐらいの短い映画だった。全体的に粗削りなところはたくさんある。だけど、テンポや画面構成には光るところがあった。そして何よりも、全体を通して光男にしか撮れないであろう、みずみずしい『何か』がそこには映っていた。
「すげー良いよ。何が良いのかは、素人だからよくわからないけど」
「ありがとう。そう言ってもらえると、報われた気がするよ」
DVDを取り出しながら、光男は話を続けた。
「これで賞を取れなかったから、映画はもうやめるつもりだった。借金も返さなきゃいけないから、就職しようと思ってた。それを当時の彼女、この映画の編集を一緒にやってもらった子なんだけど、その子に相談したら『どれだけ時間がかかってもいいから、次作を撮らなきゃダメだ』って怒られて」
「オレもそう思うよ」
「その彼女に、『亡くなったお祖母さんの家が空いているから、そこに住みながらお金を返して次作の脚本を練ろう。仕事は畑があるから農業をすればいいし、伯父さんが農協で勤めてるから、色々とサポートが受けられるはずだから。ついては、結婚しましょう』って言われちゃってさ」
「えっ、光男、結婚してるの?」
「子供もいるよ。もうすぐ三歳になるんだ。今日は嫁の実家に行ってるけどね」
「てっきり結婚してないかと思ったよ」
「一人暮らしでこの家はおかしいだろ?」
光男は笑った。結婚に関しては、なんだかオレだけ、すべてからおいていかれている気がする。
「次作は、まだなのか」
「去年から撮ってるよ。龍勢祭って知ってるか?」
「あのロケット打ち上げるヤツ?」
オレは何年か前にニュースでみた映像を思い出していた。各流派が作った手作りロケットを山のふもとから打ち上げる伝統的な祭りだったはずだ。
「そうそう。実は、三年前からロケット作りを手伝ってるんだ。次は龍勢祭を舞台にしたドキュメンタリーを撮ってるんだ。下手に役者に演技してもらうより、生身の人間を撮ってる方が面白いね。今週末に祭り本番があって、そこでクランクアップの予定だよ」
光男の目は、小学生の時にオレに映画を説明してくれている時みたいにキラキラしていた。
「完成したら、観せてよ」
「もちろん」
そう言う光男の顔は、晴れ晴れとしていた。
「それじゃあ、そろそろ行くわ」
オレは立ち上がると、玄関へ向かった。
「そういえば、光男って携帯持ってないの?」
「持ってるよ」
「えっ? 番号、実家には教えてないのかよ?」
不信に思ったオレは、思わず聞いてしまった。
「あぁ、映画作るのやめなかったせいで、だいぶ昔に勘当されてるんだ。ここに住んでる事以外、何も教えてない」
「だから住所しか分からなかったのか。子供もいるんだったら、仲直りした方がいいぞ? 親なんて、いつ死ぬか分からんし。おせっかいかもしれないけど」
光男は恥ずかしそうに頭をかいた。
「やっぱりそうだよな。みんなにも、そうやって言われるんだ。一応、今撮ってる映画が一段落したら孫の顔を見せに行くつもりだ」
オレは車に乗り込むと、エンジンをかけて窓を開けた。
「なぁ、光男。今年の川越祭りに来いよ。キハチも雄一も来るから、四人で飲もうぜ」
「あぁ、そうだな。行くよ。必ず」
光男と強く握手をした。
タイムカプセルを開いてから、忘れていた色々なことがまた動き始めた。もしかしたら、あの日にタイムカプセルを埋めたのは、今日、オレをここまで連れてくるためだったのかもしれない。
なんてクサいことを考えながら、アクセルを踏んだ。バンパーに止まっていたトンボが、秋空へと飛んでいった。

選評

人物描写、構成しっかり

 33歳から80歳まで、8人の力作が最終候補に残りました。さまざまな年齢の方が書いた文章を読み比べると、どうしても年長者のほうが人生の機微に通じている感じがするものです。喜怒哀楽に出会った数が多い分、人物描写にも物語の運びにも説得力がある。文字通り「一日の長」ということでしょう。…という一般論を乗り越えて、今年は30代半ばの近藤誠司さんの作品「タイムカプセル」が受賞に輝きました。

 小学校の同級生だった3人が、居酒屋で語らううちに、昔埋めたタイムカプセルのことを思い出す。それを掘り返したことから謎が生まれ、思いがけない再会へとつながっていく物語です。

 川越祭り、巾着田、秩父のこんにゃく畑…と、彩の国の風景もふんだんに盛り込まれ、主人公と一緒にウオーキングしているような気分で、読者はさわやかな結末へと導かれます。ライトノベル風な筆の運びでありながら、人物描写も構成もしっかりしていて、綻(ほころ)びのない文章だと思いました。

 若い受賞者の誕生をおおいに喜ぶとともに、近藤さんがこの軽やかな文体でもう少し骨太のテーマを描いたらどんな小説になるのだろう―と期待をいだいています。

 佳作の「仙太郎の夏」は加須を舞台にしたさりげない人間ドラマです。けっして力むことなく完成度の高い文章が紡がれていることに感銘を受けました。もう少し物語に起伏があれば―というのが審査員の思いでしたが、その淡々とした筆の運びこそが、作品の最大の持ち味なのだとも思います。通好みの造形力に、拍手。

(三田完)

詩部門正賞

ストップウォッチ

松田由佳

壊したら大変よ、と言って母は
小さな私にストップウォッチを
少しだけいじらせてくれる時があった

生徒たちが帰った教室

こっそり大人になる私の手のひら
銀色の滑らかな感触
冷やりとした円い重み

親指で上のツマミを押すと
引っかかる感じを保ちつつ
カチッと一気に下がる
あわてて母の声を真似て
「よーい、はじめてー」

チチチチチチチチ…
黒く浮かんだ針が走る
文字盤に落ちた影も走る
一周目はただじっと見つめた
二周目の途中で耳にぴたりと付け
目をつぶれば
アリの駆けっこが見えた

最後は針がてっぺんに来るのを
待って、待って―
「はい、そこまで」
もう一度ツマミを押し
人さし指でちびピンを押し
二つの針がひゅっと重なったら
ソロバンの先生ごっこは、おしまい

母の形見となって、十五年

チチチチチチチチ…
今でもアリは正確に走ってくれる
大人になった私の手のひらに
思い出をこぼしなが

選評

感覚の記録を推す

  応募総数は170編。応募者は遠くイギリスを始め、青森県、新潟県、茨城県、千葉県、東京都、神奈川県、愛知県からもあった。応募作品の全体的なレベルは上がってきている。審査には中原道夫、木坂涼、北畑光男の3人で当たった。

 正賞は松田由佳さんの「ストップウォッチ」に決まった。ストップウォッチは競技会などでよく使用される。松田さんはそのストップウォッチをとおして15年前に他界した母を偲ぶ。作品は感覚の確かさをもっている。思い出がストップウォッチのチチチチ…の音(聴覚)と針の影からアリの駆けっこへの連想(視覚)、円い重みなど手ざわりの感覚で形象化されているところに審査員全員の感動を呼んだ。

 佳作は斎藤典子(筆名・郡司乃梨)さんの「十二月の神様へ」、高本奈都子(同・島田奈都子)さんの「きつおん」。応募作品の中には長い詩もあったが短くできたのではないか。

(北畑光男)ら

短歌部門正賞

別所沼好日

堀八郎

遠き日に立原道造読みしことヒアシンスハウスに暫し憩いぬ
盛り土の踏みかたまりて曼珠沙華かな女の句碑を遠巻きに咲く
誰が願い託されいしか千羽鶴弁天堂の扉の桟に
落花浴ぶ原爆死没者慰霊の碑レジャーシートに取り囲まれて
東西に陣張るごとく釣り人の向き合う沼にさざ波光る
日常の景となりたるイクメンの我等は企業戦士の時代
日溜りのベンチで語る七人の思いおもいの帽子が似合う
先生の留意事項を聞き終えて野外授業の児童散りゆく
三周と決めるジョギングコースなり今日は小春日一周おまけ
右左ポニーテールの髪揺らす少女ランナー我を追い越す
ストレッチ腰折る手元寄り来れど餌なきと知り鳩の去りゆく
振り仰ぐ樹に精霊の宿らむか木の名を標すパネルを開く
よく会うと眼で挨拶を送れども素知らぬ振りで犬は横向く
秋日和間合い程良き位置占めてシニア集団絵筆走らす
手作りの凧揚げ持つ園児たち二手に分かれ合図待ちおり
アングルの中に割り込み老人が笑顔つくりてVサイン出す
ぐずる児を二人の保母が手を引いて時々高く持ち上げて行く
ぞうさんの伸ばした鼻の滑り台雨の一日雨だれ滑る
背伸びしてシャボン玉追う幼児の手光とるごと虹とるごとく
うなこちゃん像待つ台座小さかりメタセコイアの芽吹く池塘に

選評

人々の情景 明るく

 第47回埼玉文学賞短歌部門は28歳から92歳までの作品60編が集まった。多くは埼玉県内からだが東京都、三重県からの応募もあった。

 その中から堀八郎さんの「別所沼好日」に決まった。題名どおり、さいたま市の別所沼周辺の日常を描いた作品である。詠まれているのは公園内だけ。狭い範囲でありながら様々な人たちが集まる場所だけに嘱目は多様。沼に集う人々の情景が明るく描かれている。

 佳作は3編、杉本康夫さん「団塊の世代」。団塊世代の作者が高齢期に入った目で現代を見つめている。高橋良子さん「麦熟るるごと」。都会と地方の狭間のような町の、時代や暮らしの変化などを捉えている。小林トキさん「一人住む家」。夫の三回忌を迎え、振り返ったり先を見据えたりという境地を詠った。3篇とも年齢的なこともあり充実感があった。

 杜澤光一郎、金子貞雄、沖ななもが選考にあたった。

(沖ななも)

俳句部門正賞

おはじき

久下(くげ)晴美

おはじきの青を弾きし白露かな
台風接近あさから肉を食べてゐる
惣菜の並ぶデパ地下秋めけり
全身の穴塞ぎをり震災忌
投函を忘れし便りきりぎりす
烏瓜嘘をつくには遅すぎる
ほんたうの自分がゐない棗の実
栗の毬踏んでそこそこ元気なり
ふたつ三つ?いでいいでしょ青蜜柑
失速の金木犀をたなごころ
目を閉ぢてゐても明るし芒原
萩揺るる程よい疲れ廻りをり
芋の露這ひ蹲りし昭和かな
霧襖ことば足したき広辞苑
からだごと曲るカーブや青芒
集落は谷底にあり鰯雲
白日の湖へ迫り出す櫨紅葉
神無月叩いて渡る太鼓橋
おはじきの吸ひ付く指や雁の空
銀杏黄葉雲をどんどん押し上げ

選評

日常生活を素直に

 俳句部門には、53編の作品が寄せられた。年齢は24歳から90歳までと幅広く、地域は埼玉県が中心だが、東京都、茨城県、長野県などからの応募もあった。選考には金子兜太、山ア十生、佐怒賀直美の3人があたり、その結果、久下晴美さんの「おはじき」を正賞に、龍野宏さんの「はんなりと」、早乙女文子さんの「風紋」、渡辺智恵さんの「だまし絵」の3編を佳作とした。

 正賞の「おはじき」は、身辺の日常生活を中心に、様々な体験を飾ることなく素直に描き、季語の選定も独特かつ的確であり、20句を通して一定のレベルを保っていたことが評価された。

 佳作の3編も個性的な作品で魅力的ではあったのだが、まだ推敲の余地のある作品の残されていたことが惜しまれた。全体を通して誤字や仮名遣いの不統一、文法の誤りなどが散見されたが、一句一句に愛情を持って真向かい、しっかりと推敲することが大切であり、実生活の充実にも通じようというものである。

(佐怒賀直美)

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